【関連シンポジウム:記録】トークセッション④ 「表現の先に見る社会」


※展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)の関連企画として開催したシンポジウム(2016/8/27, 28)の内容をお届けします。
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1960年代から整備された南橘団地では、少子高齢化などの社会問題が存在する。中島佑太氏は、ワークショップや人々との交流を通じて、そこに存在する「他者の視線」や「不可視の境界」を捉え、団地内での人の往来や美術館と南橘団地間の行き来の問題から「移動」をテーマに展示をつくった。本トークセッションでは、中島氏に加え、日本紛争予防センター(JCCP)でケニア事業担当として紛争予防プロジェクトに従事している朝比奈千鶴氏をスピーカーに、また帝京大学高等教育開発センターから森玲奈氏をゲストに迎えて進めた。

◎日時:2016年8月28日(日)13:30-14:30

◎スピーカー:
中島佑太(アーティスト)
朝比奈千鶴(認定NPO 法人 日本紛争予防センター/ JCCP ケニア事業担当)

◎ゲスト=
森玲奈(帝京大学高等教育開発センター講師)

◎モデレータ=
住友文彦(アーツ前橋 館長)

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中島佑太《LDKツーリスト》、「表現の森」展、2016年/PHOTO: KIGURE Shinya

「LDKツーリスト」に至るまで

住友:まず、中島佑太さんから南橘団地のプロジェクトについて、日本紛争予防センターの朝比奈千鶴さんからケニアでのプロジェクト「Art for peace」について、活動報告をしていただきます。また、今回、ゲストとして帝京大学の森玲奈さんにも参加していただいていますので、二つの事例についてコメントをいただきたいと思います。その後ラウンドテーブルを行います。どうぞよろしくお願いいたします。それでは中島さんからお願いいたします。

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中島佑太氏/Photo: KIGURE Shinya

中島:僕は群馬県前橋市出身で、普段からワークショップを主体に活動しています。実は、僕が今回プロジェクトを行っている南橘団地は故郷でもあります。5歳くらいまで、1980年代にこの団地で過ごしました。今回、思い入れのある場所でプロジェクトを行うという不思議なご縁をいただきました。

プロジェクトのきっかけは「80年代の団地と、今の団地とは結構違う場所である」というところにありました。当時、僕の親世代が団地に住みたいと思っていた頃とは異なり、今は色々な事情を持って住んでいる人が多い場所になっています。市営団地のため、所得制限もあることから、おそらく僕が住んでいた頃から住み続けている高齢者や、外国人労働者、母子家庭の方々なども多く住んでいるようです。

そして、今回の「表現の森」で、どこと一緒にやろうかと考えていたときに、南橘団地に関する、とある噂を聞きました。それは「学校に通わず平日の昼間に公園で遊んでいる外国人の子どもたちがいる」という噂です。それで、最初は地元でお店をされている方にインタビューするなど、リサーチをしましたが、噂に該当する外国人の子どもは1人だけのようでした。噂では「いっぱいいる」という感じだったので、噂やいろいろな大人の決め付け、そして問題を大きくするような考え方は、こういうところにあるのかもしれません。

「ワークショップ」というものは、その性質上子ども向けのものが求められることが多いのですが、僕は対象を子どもに限定していません。今回のプロジェクトでも、子ども向けのワークショップを通じて子どもを地域で見守る人やお家の方々など、周りにいる大人にどう影響を及ぼせるか、我々も含めてどのように変化できるか、という点を考えながらスタートしました。

最終的には「LDKツーリスト」という旅行会社仕立ての作品をつくりました。そこに至るまで数回のワークショップを通じ、いろいろと考えていったので、そのあたりを簡単に説明しながら本題に移っていければ、と思います

ワークショップは主に団地の中の集会室をお借りして行いました。1回目は予想以上にさまざまな年代の方がたくさん来ていたのですが、3回目で参加者が1人になってしまいました。それはそれでいいかと思いながら、事前に構想していたワークショップはやめ、彼女と1対1で話を進めました。結局彼女は、スタッフから借りたカメラで遊んでいました。これは1人だからこその特権だと思います。そのうちに「このままカメラを持ってどこかに遊びに行こう」という話になりました。「出かけるならまず靴をつくろう」と、靴をつくりました。初めは少し外に出ただけですぐ破れてしまったので、試行錯誤し、足に袋をかぶせたような足袋をつくりました。

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中島佑太「ひみつのさんぽかいぎ」、南橘団地、2016年

 

私と公が入り交じる団地

中島:団地にはいろいろな人が歩いたり遊んだりしています。特に集会室の隣の広場では、子どもがたくさん遊んでいました。広場にいるのは団地に住んでいる子ばかりではありません。ワークショップをしていると団地に住んでいない子どもたちも参加してくれるので、そんな環境におもしろさを感じました。

次に「旅するお料理図鑑」という、サポートで入ってくれていた大学生が考えたワークショップをしました。最初はお料理図鑑をつくるつもりでしたが、始まって早々に「団地にあるものでレストランをつくろう」という話になり、外に飛び出していったのです。団地にある草花を抜いたり、BB玉を拾ったりして、子どもたちがレストランの材料を集めて戻ってきました。そのなかにぶどうやプラムを持ってきた男の子がいて、これが少し問題になりました。団地内の空き地で果物を育てている方のところから持ってきてしまったのです。良いものを持って来ようという気持ちが強かったようで「俺はマスカットが生えてるとこ、知ってる!俺たちは採ってもいい」という調子ではりきって出ていったのです。見事に地元のおばちゃんに「あんた、それ、あのおじさんが育てているやつでしょ!」って怒られてしまって。でも、よく考えてみると、果物を育てている場所は誰の土地でもない場所。実はグレーゾーンなんですね。このときに思ったのは、団地というパブリックな場所での、プライベートな使い方がいっぱいあるということです。例えば1階の住戸の周りには鉢植えがいっぱい置いてあり、一見すると庭のように見えますが、実は公共空間に置いている。でも植物が増えるのは悪いことではないので、誰も文句をいいません。ただ法律上は結構グレーな部分だと思います。

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LDKツーリスト「旅するお料理図鑑」(企画:星野怜菜)、南橘団地、2016年

こうしてワークショップをいくつか続けながら、最終的に「LDKツーリスト」という作品になりました。団地の居室内のリビングやダイニング、キッチンに僕らが行って、そこでの旅を提案する、というコンセプトです。まだ居室内でのワークショップは実現しておりませんが。

このなかで、定期的に南橘団地で行う「移動ワークショップ」と、「表現の森」会期中の美術館の来場者に南橘団地に来てもらうワークショップ「南橘団地の旅」を行っています。展覧会の会場に「LDKツーリスト」のカウンターをつくり、そこで「南橘団地の旅」ツアーの申し込みができます。

これまでに行った2回のツアーのうちの一つ、「常夏を嗅ぐ旅」を紹介します。具体的には、団地の換気扇の下でにおいを嗅いで、晩御飯を想像するワークショップです。みんなで団地のなかを歩きながら「ペペロンチーノ、ツナサラダ、ニンニクのにおいがする!」「ここの家はラーメンだ」「ここはてんぷらだ」みたいな感じで、先ほどの学生たちのワークショップを元ネタにし、「お料理図鑑をつくってみよう」というワークショップをしました。

以前、団地に住む80歳の方へインタビューしたとき、フィリピン人の子どもが増えてきたという話の中で「子どもたちはフィリピンの料理を食べているみたい」という発言がありました。なぜそう思うかと想像し、一つは、もしかしたら換気扇からこぼれるにおいがスパイシーなのかも、と思いついたのです。「嗅ぐ」という観点で南橘団地を歩いていると、誰かに監視されているのではないか、という感じがします。最近「ポケモンGO」の人気で不法侵入が問題になっていますが、僕みたいに背が大きくて派手な服の人間が団地内を歩いていると、「怪しいやつがいる」と、警察に通報されるかもしれません。また、ワークショップで仲良くなった子どもたちと追いかけっこしていると、変な男が子どもを追いかけているように見えるかもしれません。そういった感覚を、美術館の来館者の方々にも一緒に体験してもらえればと思い、始めたツアーです。一緒に、通報されるかもしれない危機感にさらされましょう、という。こうしたワークショップを実施しながら、団地のことをリサーチしている段階です。

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LDKツーリスト「LDKツーリストで行く南橘団地 常夏を嗅ぐ旅、南橘団地、2016年

 

紛争地域での心のケアを行う「Art for peace」

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朝比奈千鶴氏/ Photo: KIGURE Shinya

住友:それでは続けて、日本紛争予防センターの朝比奈さんから活動の報告をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

朝比奈:私は特定非営利活動法人日本紛争予防センターで、ケニア事業を担当しています。今回ご紹介するのは、ケニアの子どもたちが描いた絵を使った「Art for peace」というプロジェクトです。

当センターについて少しご説明しますと、日本紛争予防センターは英語で「Japan Center for Conflict Prevention(以下、JCCP)」といい、私たちはよく略してJCCPと呼んでいます。JCCPは「紛争の被害者を平和構築の担い手に」という使命のもと活動しています。紛争や暴力で被害を受けた人たち自身が平和構築を行っていけるよう、現地住民が主体となって活動するための手助けを行っています。

「Art for peace」は、アフリカ・ケニア共和国のナイロビにたくさんあるスラムの一つ、マザレスラムという地域で行っているプロジェクトです。スラムなので人口を把握するのは難しいのですが、推定40万人が住んでいます。「Art for peace」を始めたのは2015年ですが、JCCPでは2008年からこの地域で心のケアに取り組んでいます。

2007年、ケニアでは大統領選挙があり、その結果を巡って暴動が起きました。このときマザレスラムでは、隣人同士が戦うなど住民が互いに傷つけ合うことになってしまったのです。特に女性や子どもが大きな被害を受け、今でも心に傷を負った人たちがたくさんいます。暴動後も貧困を原因とした暴力をはじめ、問題は絶えず起き、そのぶん傷ついた人も増えています。日本ではたくさんの方が「トラウマ」という言葉やその意味をご存知だと思いますが、ケニアではその言葉はまだ普及していません。「トラウマ」のせいではなく、自分自身に問題があると感じながら生活しなければならない人たちがたくさんいます。

JCCPの取り組みとしては、特に人を育てることを大切にしてきました。現地の人たちが自分たちの問題を自分たちで解決できるようにするためです。まず現地の人たちに研修を行い、カウンセラーを育成しました。現在はカウンセリングを通してデータを集めています。何が問題なのか、どの問題が多いのか、どんな人がカウンセリングを受けに来るのか、というようなデータです。

また、現地の人たちが主体となって活動を続けていけるよう、学校や教会と連携して「セラピールーム」という部屋を設置しました。そこでカウンセリングを行いながら、自分の経験をうまく言葉で表現できない子どもにはどのような方法が効果的かを模索してきました。そんな中、阪神・淡路大震災の関連で、子どもへのアートセラピーがとても効果的だった、という報告をもとに、2015年「Art for peace」という名前でこのプロジェクトを開始しました。アートセラピーとは、子どもたちに絵を描いてもらったり、ダンスをしてもらったり、歌ったり演劇をしてもらったりして、彼らが自分の思いを表現し、それをもとに心理療法のセラピーを行うという手法です。カウンセラーは、子どもたちが描いた絵を通して、この子にはどんな問題があるのか、どのようにケアをしていけばよいか、と考えていきます。

ナイロビに開設された「セラピールーム」

「平和」をテーマに絵を描く子ども

私は7月にケニアに行った際、このセラピールームを訪れて、そこにあった絵を写真に撮ってきました。この絵のなかで、子どもがナイフを持った人を描いています。ナイフを振り上げて襲いかかる人の姿もあります。カウンセラーは、子どもたちはなぜこれを描いたのか、なぜこんなことが起きたのか、実際に何が起きたのかを、絵を通じて確認していきます。セラピールームにはおもちゃを置き、子どもたちが遊びやすい環境にしています。そして、セラピーを受けた子たちや、セラピールームを設置している学校、教会に呼びかけて、この「Art for peace」の活動として「平和」をテーマに子どもたちに絵を描いてもらうイベントを行いました。今回の「表現の森」展では、そのイベントで集まった子どもたちの絵を展示しています。

この活動を行う上で、とても重要な役割を果たすのがカウンセラーたちです。彼ら自身もマザレスラムの住民であり、子どもたちに平和を味わってもらうために立ち上がった人たち。彼らはアートセラピーのやり方を学ぶなかで、スキルもどんどん上げていきました。今は、15人のカウンセラーが6カ所のセラピールームで働き、カウンセリングをしています。カウンセリングを続けるなかでさまざまな問題も出てくると思いますが、これからも彼ら自身がそのコミュニティのなかで問題解決できるようJCCPはサポートをしていきます。

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Art for peace×ケニアの子どもたち、「表現の森」展、2016年/PHOTO: KIGURE Shinya

 

予想とは違ったこと、変化したこと

住友:ありがとうございます。お二方からそれぞれの活動を報告していただきました。ここで森さんに、展示や今のご報告についての質問やコメントなどがありましたらお願いたします。

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森玲奈氏/ Photo: KIGURE Shinya


:それでは、お二人に同じ質問をしますが、最初に始められたときと、活動を続けられた今とで、予期されたことと違った部分があればお聞きしたいです。よかったことや、少しやりにくかったこと、変えてきたことなども含めて、最初は見えてなかったことが見えてきた、ということはあったのでしょうか

中島:一番初めに「これをやろう」ということがなかったので、想定と違うことも特にありませんでした。ワークショップを通じ、団地の人たちと少しずつコミュニケーションをとりながら、一緒に何か立ち上げられたらいいなという気持ちで、半年ほどやってきました。その中で、やはり人の変化はあった気がします。

民生委員の方にコーディネートをしてもらって、一緒にワークショップやトークをしていますが、さきほどのぶどうの事件が象徴するように、色々なところで既存のルールに関する注意を受けます。僕はルールを守るのがあまり得意ではないので、南橘団地に遅刻をしたり、短パンでいたりすると、民生委員さんに「あら、家の格好のままできたの」といわれたりして(笑)。でも最近行った「常夏を嗅ぐ旅」のときは、彼女が進んで一般参加者を先導してくださっていた、という話を聞きました。関係を築くことができ「怪しいものではない」と理解してくれたのか、こちらに対して乗ってきてくれている、と感じました。

朝比奈:私たちは、もともと心のケアをするプロジェクトだと決まっていたので、どんなことができるかを念頭に置きながら進めていました。ただ、最初は「Art for peace」のコンセプトを、現地のコミュニティに理解してもらうのがとても難しかったです。心のケアすら意味が分からないという状況でした。アートセラピーを実施してくれている学校や教会にカウンセラーたちが何度も足を運んで説明し、「Art for peace」がどれだけ子どもの健やかな成長に有効であるかという理解を浸透させることができました。

:何か転機はあったのでしょうか。

朝比奈:大人向けのカウンセリングの研修を受けたカウンセラーの方々は、アートセラピーを学んだ後は少し戸惑っていました。トークでのカウンセリングに慣れていたところに、アートという手法をどう取り入れたらいいのだろうか、と。それで、JCCPのケニア事務所の職員が一人のトレーナーを連れてきて、カウンセラーたちにアートセラピーを使って何ができるのか、ワークショップをしながら再度説明しました。そうすることで、カウンセラーたちも自信をつけることができ、学校に対してもうまく説明ができるようになったと聞いています。

 

プロジェクトの課題、活動継続のための自発性

:お二人がこれからプロジェクトを続けていくなかで課題に感じていらっしゃることや、現状で抱えている困難などはありますか。

中島:「表現の森」の展示での五つのプロジェクトで、唯一僕だけが、なぜか住宅街と関わっています。そのなかでコミュニケーションの難しさを感じます。一つのワークショップを行う際も、その情報を700戸にお知らせしなければいけない。これがややストレスでもあって、運営を進める速度も鈍くなってしまいます。「協働」という意味でのコミュニケーションがなかなかとれていないと感じていて、そこが大きな課題です。

それから定例のワークショップなので、レギュラー参加の子が何人か現れ始めています。この前、その子たちに「なかじ(中島の愛称)のワークショップは、好き勝手できるから好きなんだ」といわれました。それはある種の褒め言葉ですが、少し違和感がありました。もちろん子どもたちの自由な表現を生かしたいと思ってはいます。ただし「好き勝手」ではなく、自由を得るためにどういうコミュニケーションや交渉、対話が必要なのかを伝えること、それが二つ目の課題です。

朝比奈:私のほうは、子どもたちが心に負う傷はとても深いものがあるので、カウンセリングは一度や二度ですぐに終わるものではないのですが、その点を地域の人たちはまだ理解されていない部分があります。カウンセリングを通して少しずつ癒えていくということを、もっと地域に広めていくことが、これからの課題になるのかなと思います。

中島:そのカウンセリングは、行きたい日に行けるものでしょうか。毎日開催していますか。

朝比奈:セラピールームは毎日開いています。実はいま、セラピールームを設置している学校の教師たちに対して、カウンセラーたちが自主的に研修をし始めています。なので、カウンセラーの不在時も、教師が適切な対応をできるような体制が少しずつ整い始めています。

:それは、JCCPの方が最終的にフェードアウトしても活動がある程度回っていくことをイメージされた上で、そういう舵取りをされているのでしょうか。それとも自発的にそういう状況が起きているのでしょうか。

朝比奈:教師たちを巻き込み始めたのは、私たちからお願いしたわけではなく、カウンセラーが自発的にその必要を感じて行ったことです。セラピールームはあまり頑丈なつくりではない上、危険な土地柄なので、管理している学校との連携は大事なのだと思います。

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住友文彦/ Photo: KIGURE Shinya

住友:ケニアで事務所をつくるときに、現地スタッフもいるとは思いますが、やはりJCCPは「アウェイ」ですよね。実際に地域でどういうことが起きているかは、朝比奈さんたちよりもカウンセラーたちのほうが、多く把握できるということでしょうか。するとそこに、今後の活動をどうするか、という芽が出てきて、ひいては自発性につながるのだと思います。

南橘団地のプロジェクトも定期的に続けていくかというのは課題だと思います。でも南橘団地は中島さんにとって「ホーム」ですよね。

:今は住んでいないので、多少は「アウェイ」になるのではないでしょうか。

アート・セラピー研修の様子

 

活動を持続するための方法

住友両プロジェクトには間接的に関わってくる人たちがいます。マザレスラムではカウンセラー、南橘団地では大人たちでした。セラピーを受ける患者さんや、ワークショップに参加する子どもといった直接の関係ではない、こうした関係がプロジェクトに大きく影響してくることがあるかと思います。その人たちとの関係性の構築の仕方が、両プロジェクトにとって肝ではないでしょうか。中島さんは、今後、プロジェクトに地域の大人の方々とどのように関わっていくかといった構想はありますか。

中島:何となく手応えを感じ始めたところなので、自由なワークショップという僕のスタイルをもう少し提示しながら、みなさんに理解をいただけたら、と思っています。ここ数年、学校の先生や大学生たちにワークショップのデザインの方法をレクチャーする機会が増えているので、地域の方々や、その周りの大人にワークショップをやってもらう機会があってもいいなと思っています。

住友:ここで、関連する事例を一つ紹介したいと思います。「表現の森」でもPort Bが関わっている「あかつきの村」という場所についてです。ここでは統合失調症を患ったベトナムの難民の方々が生活しています。1979年に活動を開始し、困難な曲面を何度も乗り越えながら活動を続けています。ここで生活されえる方々は、病棟に閉じ込められることなく自由に生活をしています。

どのようにそういった状況を保っているのか、と私は疑問に思っていました。スタッフの櫻井さんという方が昨日のトークセッションに登壇されて、基本的には、全然システム的ではないのです。櫻井さんも自分たちの活動をうまく伝えられないという感じで、何となく総合的に支え合っている状況、といういい方をされました。「漂流的」といった言葉も出ていて、かえって、それが長く続いている理由なのかもしれないという話になりました。システムをつくることで、それを受け止めないといけない人がでてくる。それはその人にとって大きなストレスになるんですね。その点、今後、お二方は活動を続けていくうえでどのように感じられますか。

中島:僕は、「ドラえもん」に出てくる土管の空き地みたいな場所……、誰に許可され、誰が管理しているのか分からないような「場所の考え方」が増えていったらいいなと思っています。ワークショップをしながらそういった団地のなかのグレーゾーン探しをしているのかな、と思います。

これからの南橘団地は、セラピールームのような部屋を借りて僕らが運営し、子どもたちはいつでも来ていい、というのはあわないかなと思います。ソフトというか考え方や想像力で、セラピールーム的な通える場所をつくれないかな、と思っています。

朝比奈:私たちも、もともとJCCPがずっとケニアでプロジェクトを続ける前提ではないので、いつかJCCPが去ってからも彼ら自身で継続できるシステムは「漂流的」でなければいけないということを強く思います。今、自主的に教師たちへ研修をし始めたのは、とてもいい傾向だと考えています。

今は毎月、定例会のような感じで、いろんな地域にいるカウンセラーたちが全員集まって自分たちの経験を共有しあっています。どんなことがあったのか、カウンセリングに求められる傾向などを話しあいます。それを、彼ら自身で定着化させ続けていくことが必要になるでしょう。

 

目的を明示せずに続けていく

住友:続けていくとき、お金の問題が出てくると思います。例えば南橘団地のプロジェクトを続ける場合、お金を出す側は分かりやすいシステムや、どういう成果が出るのか、というのを求めると思います。先ほどの「あかつきの村」のやり方は、そういう場面で説明することが難しい。でもすべてを伝える必要はなく、社会との接点がはっきりしていればよいのではないでしょうか。あかつきの村では「リサイクルバザー」が、そういう部分になるのかなと思います(注:全国の支援者から寄付された品物を、あかつきの村の敷地内のバザー会場で販売し、その収益金を難民の障害者を中心とした支援に活用している)。JCCPの場合、ケニアから引き上げるとき、現地で運営を続けるお金はどのように考えていますか。

朝比奈:それが一番悩ましいところです。「Art for peace」では、子どもたちの絵をデザインしたバッグやハンカチの売上金をすべてケニアに送って、活動資金にしてもらっています。ただ今後の計画として、彼ら自身の経済的スキルによって活動が継続できるようにしたいと考えています。

住友:南橘団地の活動に対し、すぐに成果が見えないワークショップなどを持続させることについて、森さんからご意見などいただけますか。

:朝比奈さんの活動は「紛争地の心のケア」という目的がはっきりしているので、その評価ができれば、スポンサーに対しても分かりやすいと思いますが、中島さんのプロジェクトは、明示しないと評価がしにくいところをあえて明示していません。目的をむしろ明示したくないということか、それとも見つかったものを成果とするのかなど、そのあたりが気になりました。中島さんは、目的についてどのように考えていますか。

中島:個人的には団地という性質上、子どもの貧困や国籍的な多様性にアプローチすることも考えています。ですが今回は「旅」をテーマにしたので、まさに漂流していくこと、その過程で未知と遭遇しながら遊べたらいいなと思っています。目的地にまっしぐらに向かうあまり、大事なものを見落とすのは避けたいです。

:朝比奈さんの方は、問題に対してアートという手法を使ったプロジェクトで、中島さんの方は、プロジェクトそのものが中島さんのアート作品でもあるわけですよね。

中島さんはおそらく、プロジェクトから生まれてきたものの多様性を通じてガジェットを獲得していくことになるのかなと思います。目的に対する解決ではないことをむしろ強みと捉えて、「旅」のプロセスから、様々な価値や思いや活動が同時多発している状況が好ましく思います。また、その多様性をいかに潰さずに発信し、拡散していくかという部分で、中島さん以外の参加者が核になってネットワーク化し、広がっていくような形のサステイナビリティ、そして目的が複数になっていくような状態が、将来的なイメージとしてあるのかなという印象を受けました。そうやって分散していけば、かかる予算や人のコストも分散し、皆が少しずつ負担をしていくことで持続可能性が高いのかな、と思いました。

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Art for peace×ケニアの子どもたち、「表現の森」展、2016年/PHOTO: KIGURE Shinya

 

“ゆるさ”の設計

中島:個々人が負担するモデルとしては、地域のお祭りも近いと思いますが、そういうイメージでお金が集まってきたらいい、と思っています。なかなか南橘団地で成立させるのは難しいかもしれませんが。今、地域の高齢者がお金を使い切らないまま孤独死してゆく現状があって、そのお金を子どもたちの想像力のために使いませんかと誰かいってくれないかなと思っています。

住友: 森さんの話にあった、アメーバ的な分散型の活動は、アーティストの活動とするときに大きな課題になると思うのは、自分がどこまで関与しているか、ということです。先ほどの「好き勝手やれる」という話も関係しますが、それを自分のアートプロジェクトとして考えるのか、それともそこから先は……、っていうあたり。パブリックとプライベートという点でも、団地は普通の住宅地とは違います。そういう場所のユニークさを活かしてプロジェクトが動く可能性はありますが、アメーバのように細胞分裂したあとは、プロジェクトの受け止め方が違う人もそのなかにいるかもしれません。すると、最初のコンセプトとは違うものになっていく可能性もあります。こうした場合も想定したうえで、アメーバ的にアートプロジェクトを行っていく可能性はありますか。

中島:僕はモノをつくるタイプの作家ではないので、ここからここが僕の成果物です、という考えはあまりないです。わりと、コトとして拡散していった状況自体を楽しんでいるところがあります。こういう僕の活動を通して変化した部分が、どう伝播し、次の社会がどのように変わっていったのかを見てみたいなと思っています。

:でもやはり作品として考えるのであれば、その種を蒔いたのが中島さんだということが何らかの形で分かるような記録をとっておくべきだという気がしています。どうやって、その二次的、三次的に普及していった展開を中島さん自身が把握するか、もしくは予算を出しているところが記録していくか。コストはかかると思いますが、そこを回収できるようなシステムは大事だと思います。例えば手紙が来るとか、何か写真が送られてくるとか、それを活動自体に組み込むと、中島さんが直接介入しなくてもデータが送られてくるような形になるのではないでしょうか。

住友:「記録」というと「ドキュメンテーション」のように、まとめのイメージがあったのですが、それだけじゃないということですね。

:記録をとっていくプロセスそのものが作品化していく。種を蒔く人みたいな作風って、いわばワークショプ的ですし、あってもいいのかなと思います。サステイナビリティの観点からも価値ある活動だと思います。

住友:そのサステイナビリティや、途中でも出ていた「多様性が見える形だといい」という話も分かるのですが、それを示すのは難しいなと思いました。

:種を蒔く人が「こういうものが自分の実践の延長です」という部分を否定すればするほど多様性は狭まるのだと思います。中島さんの場合は、それをあまりしない方だと思うので、そこが活きるようになると「らしさ」が出るのかなと思いました。一見違って見えても、むしろ中島さんテイストが引き継がれていくほうが、サステイナビリティとしては一般的だと思います。時代の変化がめまぐるしいなか、同じものを続けようと思っても続けられない。コンセプトがその時代によって上手に変えられるような形のほうが、次につながりやすいと思います。そういう意味では設計がゆるい方がつながりやすい。「あかつきの村」の話も、とてもよく分かります。それをただ「ゆるいですよ」といったら説得力がないと思うので「多様性を孕むように設計しています」と説明するとまた違ってくるのではないのでしょうか。ほぼ思考は同じですが、結果的にゆるくなってしまっているのか、それとも意図的にしているのかということです。

住友:確かにアートの分野では、「ゆるい」「寛容性」「多様性」という言葉をすぐ使ってしまっていますね。

「サステイナビリティのためにゆるくしている」と言えば、それは設計だと思います。それに対してわざとゆるくしているわけなので、その評価もできるはずです。

 

平和のために考え、想像していく

住友:かなり具体的なご助言をいただきました。そろそろ時間なので、最後に朝比奈さんと中島さんから一言ずつコメントをいただければ、と思います。今後こういう活動をしていきたいという話でも結構です。また、この「表現の森」自体が、芸術以外の福祉や教育などとの協働に焦点を置いていて、逆にJCCPは異なる分野から芸術に取り組まれているわけなので、そういう異なる分野との協働についてのお話もいただきたいです。難しい面もたくさんあるなかで、どう持続させていくかという点など、ご意見ありましたらお願いいたします。

朝比奈持続性という点では資金繰りもとても大切ですが、アートを使って平和を構築させるという、この新しい形をつくれたことは本当によかったと思っています。願いとしては、今日この場にいらっしゃる皆さんたちにも、平和への活動について考えていただきたい。そして、今日の話をほかの人に伝えて欲しいです。カウンセラーがカウンセリングの技術を教師たちに研修しているのと同じように。それだけで、一つの平和への啓発活動につながっていくものだと思います。そういう思いを、日本からもっと送ることができたらと考えています。

中島:平和という言葉の後だとなかなかいい難いですけど、やはり平和がいいです。日本も、平和が脅かされている時代になってきたと感じます。この展覧会の準備中には相模原で障害者が殺傷される事件が起こりました。そうしたなかで我々が何をできるのかというと、やはり想像することから始めるしかできないと思います。今後どんなプロジェクトになっていくか分かりませんが、考えるのをやめず、想像するのやめず。それしかできないかな、と。

住友:具体的に考えるのは大事ですし、クリエイティブなことだと思います。それでは中島さん、朝比奈さん、森さん、ご静聴いただいたみなさま、ありがとうございました。

 

(構成・投稿=佐藤恵美/構成協力=彌田円賀)

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