【関連シンポジウム:レビュー】境界に立ち、ともに「わからなさの森」へ(文=水谷みつる/こまば当事者研究会)


※展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)の関連企画として、2日間に渡って開催したシンポジウムのレビューを掲載しています。本稿は、1日目のシンポジウムのレビューです。

境界に立ち、ともに「わからなさの森」へ

 

文=水谷みつる[みずたに・みつる/こまば当事者研究会]

「環状島」の尾根にいる発言者たち

ある内部に、意図的に外部の人を招き入れ、境界に立つ人を挟みつつ、協働し、対話する。近年、盛んに行なわれているアート・プロジェクトの多くと同様、「表現の森」展もそうした構造を有している。今回のシンポジウムは、その構造をいっそう複層化させ、さまざまな内部と外部が反転しつつ、複雑に絡み合う言論の空間を創出して、展覧会を多角的に検証しようとするものだった。聴衆の一人だった私は、そのさらに外部から招き入れられ、この文章を書いている。

私がシンポジウムを聴いたのは1日目だけだったが、その日、会場の真ん中に置かれた丸テーブルに座ったのは、1)展覧会を企画したキュレーター二人と、2)彼らに招かれ、医療・福祉の現場を訪れて、その受け手と協働したアーティスト6人、3)医療・福祉の現場で働く者として、受け手とアートの専門家たちをつないだ二人、4)アートと医療・福祉の境界にまたがって仕事をする二人、5)アートの外部から招かれ、言論の場に加わった精神医学の哲学の研究者一人だった。6)聴衆は彼らを取り巻くように座っていた。

それは、もしアーティストたちと協働した医療・福祉の受け手をもっとも内部にいる者であり、当事者とするなら、精神科医の宮地尚子(みやじ・なおこ)がトラウマの語りをめぐって描き出した「環状島」モデル(*1)を想起させる光景だった。環状島の中心には内海があり、その中心にはトラウマ的出来事の犠牲者すなわち死者たち、少し外側には生き延びたものの言葉を失った者たちが沈んでいる。彼らは発話力を持たない。生き延びた者が内斜面を上がってくると、発話力は増し、尾根でピークに達する。尾根は当事者と外斜面を上がってきた支援者が出会う場所であり、そこで風当たりはもっとも強くなる。外海の波打ち際には傍観者、その外には無関心や無知の者がいる。

丸テーブルの際をぐるりと囲む発言者たちの席は、さながら尾根のようだった。協働の相手は内海に留められていた。だが、アーティストたちによって切り取られた彼らの映像が会場を取り巻いており、表象としてであれ、そのプレゼンスをひしひしと感じながらの進行という点が、独特だった。また、宮地も複数の環状島の存在について言及しているように、何をイシューとするかによって、内と外を分ける円はいくつも描かれ得る。聴衆は、目の前に可視化された環状島に重なりつつ、潜在し、その都度、立ち現われるいくつもの内部と外部を感じながら、討論に耳を傾けることになった。

では、こうして書いている私はと言えば、十数年前に重篤な精神疾患で離職するまでは美術館の学芸員だった。医療・福祉という点から見れば、いまもケアを受ける当事者だが、治療や当事者研究を通して言葉を取り戻し、発言や企画の機会も増えて、尾根に近い位置にいる。アートと医療・福祉、専門家と非専門家の境界にいて、なんとも定まらぬ微妙な場所をゆらゆらしているのが現状である。

「表現の森 協働としてのアート」関連シンポジウム、2016年8月27日

「表現の森 協働としてのアート」関連シンポジウム、2016年8月27日

 

協働における専門家の役割とは

さて、シンポジウムは、アートの外から招かれた石原孝二氏の提起した二つの問いのうち、医療・福祉の現場におけるアートの有用性を一つの大きな軸として展開した。その問いに対し、Port Bのメンバーは、直接的な有用性ではなく、外部との接続の回路を開くことの意義を強調して応えた。猪股剛氏はそれを受け、「プラットフォームを開く」(田中沙季氏)というアーティストの役割が、石原氏の提示したオープンダイアローグにおける専門家の役割と重なることを示唆しつつ、表現者としては、ダイアローグを継続させるだけでなく、「同時に責任をもって完成するポイントを示さなければいけない」と指摘した。

人の生は繰り返しを含みつつ留まることなく流れていくが、表現、とりわけアーティストによる作品は、それを切り取り、かたちに留め、見せる。何をどこで留めるか、どこまで続けるのか、その判断の根拠を尋ねたのは、見せる責任を負う住友文彦氏だった。それに対し、前半で、「ある程度濃密な時間」を過ごさないとお互いの音の信頼感が生まれないし、「今ここだっていうところで止めたくない」と話していた石坂亥士氏は、変化が生じる瞬間は「本人同士には確実に分かっていて」と答えた。リアルな実感から発せられたその言葉には、環状島の内海にいる、ここでは発話しない協働者たちの姿が生き生きと息づいており、両者が相互的信頼のもとに、ともに新たな領域に踏み出す瞬間のぞくぞく感が聴き手にも伝わってきた。それはまた、対話を継続させるだけでは充分ではない専門家の役割と責任を、身体的経験に根差しつつ端的に示した発言でもあった。

シンポジウムの最後は、わからないことが多くあるゆえに、生み出される相互依存の状態が気持ちいいという住友氏の発言を核に進んだ。ここで私が思い出すのは、依存症や精神障害の当事者のあいだで「平安の祈り」として知られる、「神様、私に与えてください。変えられないことを受け容れる落ち着きを、変えられることを変えていく勇気を、そしてこの二つのことを見分ける賢さを」(*2)という詞である。このなかでもっとも大切なのは、二つを見分ける賢さだと私は思っている。見分けられて初めて、受け容れる落ち着きも、変える勇気も生まれる。同様に、わからないことを受け容れ、それゆえに助け合うことを楽と感じるには、一方でわかることがあると知り、その二つを見分けることが必要なのではないだろうか。何もかもが不確かでわからない状態は恐ろしいし、人も頼りになると思えなければ、助力を求めることもできない。その人がどんな状態であれ、その人のなかに確かにあり、その人が感得しているものを、その人自身が見出せるようサポートし、勇気をもってともにわからなさの森へ分け入っていく。それが、アートであれ、医療・福祉であれ、協働を目指す専門家の役割なのではないだろうか。

 

[注釈]
*1: 宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』みすず書房、2007年、9-18頁。
*2: 「平安の祈り」は「ニーバーの祈り」とも呼ばれる。さまざまな訳があるが、ここでは「べてるの家」(北海道浦河町)で歌われているPUNCH’N’GLOVEの「祈り」の歌詞を挙げた。http://bethel-net.jp/mujun5.html

 

(投稿=佐藤恵美)

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