【関連シンポジウム:レビュー】「協働」の可能性を見つけていく道 (文=渡辺亜由美/滋賀県立近代美術館 学芸員)


※展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)の関連企画として、2日間に渡って開催したシンポジウムのレビューを掲載しています。本稿は、1日目のシンポジウムのレビューです。

 

「協働」の可能性を見つけていく道

 

文=渡辺亜由美[わたなべ・あゆみ/滋賀県立近代美術館 学芸員]

「表現」と「出来事」の展示

今回のシンポジウムに参加して印象的だったことがある。それは、各プロジェクトの実態は、最後までよくわからなかったこと。そして登壇者の間にある溝が埋められることなく、むしろそれぞれの距離の遠さが浮き彫りになってしまった、ということである。

こうした印象を受けたのは、本シンポジウムが展覧会に関わった方々のみならず、多様なバックグラウンドを持つ登壇者が集う場だったことに大きく起因する。筆者が参加した初日のシンポジウムでは、「石坂亥士×山賀ざくろ×清水の会 えいめい」(以下、「えいめい」)、「Port B×あかつきの村」(以下、「あかつきの村」)という2つのプロジェクトついて話を伺えた。共通しているのは、プロジェクトや展示内容を一言で表すことに慎重な姿勢をとっていた、ということだろう。自分たちの意図を伝えるには当事者や関係者を集めれば良いはずなのに、必ず第三者の視点を入れたディスカッションがなされていたためだ。この組み合わせは上手く機能している時もあれば、難しい時もあった。テーブルの上では多様な観点から意見・質問が交わされた一方で、各々が内容の濃い自己紹介で終わってしまい、展示やプロジェクトの内容に踏み込みきれなかった部分もあったためだ。そして、最後まで議論は平行線だった。それは、「美術」と呼ばれる制度や歴史、役割について各々がどのように捉えているのか、その差がはっきりと表れたためだったように感じる。

今回展示されたものの多くは、現在進行形の「表現」であり「出来事」だった。市井の人々のささやかな思いをかたちにしたものや、彼らの支えとなったものは豊かな表現となり、メッセージとなって会場にこだましていた。ただ指摘したいのは、これらは通常の「作品」とは大きく趣が異なる、ということだ。ここで述べる「作品」とは、美術の制度や歴史を踏まえて生み出した多様な表現を指す。つまり、本展の大きな特徴は通常の意味での「作品」がないこと、そして作品になりきらない作品を、その豊かな可能性とともに示していることだろう。そしてこうした取組みを「美術館」で行うことは、極めて美術批評的な意味を持つ。

 

「わかりあえなさ」を受けとめること

改めて本シンポジウム・本展で行われていたことを考えると、美術が社会/福祉/医療/コミュニティ/地域にどのように作用できるのか、美術は可能か、という問いかけが出発点だったように思う。この問いは、これからの美術館の役割を考えるための明確な批評性を伴うものであり、自分たちの活動を客観視し、俯瞰して位置づけるための重要な視点である。

ただこうした問いかけは、企画側が美術という制度の存在を前提としていることの表明でもあり、この点がシンポジウムの混沌とした空気感につながっていく原因の1つだったように感じている。美術とその他、という単純な構造につながる危険性があったためだ。実際、現場では「一体何が起きているのか」という疑問や苛立ちがあり、その隣には、何を疑問に思っているのか、そのこと自体に疑問をもった登壇者の苛立ちがあった。そして両者は遠慮の中、ぶつかっていったようだった。

たしかに、この展覧会で目にしたものは「作品」ではないかもしれず、内容を容易く理解できるものではなかった。しかし生きることと強く結びついた表現の様々なかたちには、不覚にも胸を打たれた。たとえば知的障害を持つ女性が集めた大量の薬のからや鉛筆の削り屑、難民の子どもが描いた平和を願うポスター、引きこもりの子どもが自分のためだけに発掘し、密かに手元に置いていた化石。「えいめい」の部屋にはたくさんの民族楽器が置かれ、鑑賞者は自由に楽器を奏でることができる。壁には複数のモニターがかけられ、「えいめい」で行われたセッションの様子や、アーティスト・利用者・施設スタッフへのインタビュー映像が流れる。感覚を使って同プロジェクトを再体験・追体験できるよう編集されたインスタレーションだった。一方で「あかつきの村」の展示室で流れていた映像は、本展の中でも突出してアーティストの視点が表れていた。空気の色が見えそうなほどに鮮明で美しい画面、「あかつきの村」の道なり、女性の語り口、そして響く歌声は、神々しくそこにあった。

シンポジウムでは「わかりあえなさ」が浮き彫りになってしまったように感じたが、今後このわかりあえなさを各々がどのように受けとめ、「協働」へつなげていくのだろうか。今回の機会は、この困難なプロジェクトの先にある覚悟と未来を共有しあう場だったように思う。「あかつきの村」の映像には、スタッフの佐藤さんと、ベトナム難民のサンさんが笑顔で寄り添う様子がうつっていた。国籍も生きてきた環境も異なるこの2人の姿から人と人が関係をつないでいくことの尊さや希望を感じてしまったように、わかりあえなさを分かちあいながら「協働」の可能性を見つけていく道は恐らく、険しくてとても尊い。

 

 

(投稿=佐藤恵美)

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