【滝沢達史×アリスの広場】インタビュー:「アリスの広場」ボランティア・Yさん


※本稿は、展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)に関連したインタビューです

過去を外に出したことで「それがあって今の私がいる」と客観的になれた

「アリスの広場」ボランティア・Yさん

 

前橋市内のフリースペース「アリスの広場」でボランティアを行うYさん。滝沢達史が初めてアリスの広場に行った際にたまたま話したYさんは、「表現の森」展での滝沢のインスタレーションで重要な要素となった。作品につながった経緯や、制作の過程で感じたことなどを伺った。

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滝沢達史×アリスの広場 「表現の森」展 インスタレーション(2016) 滝沢達史は、これまでも学校という教育システムに馴染むことに困難を抱える子ども達と一緒に「鎌倉図工室」などの活動を行ってきた。今回の展示では、「ひきこもり」や「不登校」の経験のある若者たちが集う「アリスの広場」に2016年の3月から定期的に通った。アリスで過ごす時間は、若者たちだけでなくボランティアの人たちとおしゃべりをする、料理をつくるそんなたわいもない時間でありながらもそれぞれにとって居心地の良い空間であった。そんなアリスに流れる断片的な時間をアーツ前橋の展示室に再現した。Yさんへのインタビューを元にしたサウンドインスタレーションの他にもアリスに通うTくんが収集する化石など、滝沢がアリスで交わした会話/対話を元に展示をつくり上げた。

滝沢達史×アリスの広場 「表現の森」展 インスタレーション(2016)
滝沢達史は、これまでも学校という教育システムに馴染むことに困難を抱える子ども達と一緒に「鎌倉図工室」などの活動を行ってきた。今回の展示では、「ひきこもり」や「不登校」の経験のある若者たちが集う「アリスの広場」に2016年の3月から定期的に通った。アリスで過ごす時間は、若者たちだけでなくボランティアの人たちとおしゃべりをする、料理をつくるそんなたわいもない時間でありながらもそれぞれにとって居心地の良い空間であった。そんなアリスに流れる断片的な時間をアーツ前橋の展示室に再現した。Yさんへのインタビューを元にしたサウンドインスタレーションの他にもアリスに通うTくんが収集する化石など、滝沢がアリスで交わした会話/対話を元に展示をつくり上げた。

 

何をしてもいいし、何もしなくてもいい場所

——はじめに、「アリスの広場」での活動の内容など教えてください。

アリスの広場には数名のボランティアがいます。特技を生かして、かご編みの教室をやっている方、家庭教師をしていて勉強を教えている方、以前に学校の相談室のボランティアをしていた方も来ています。私はアリスの広場に来る子どもたちと一緒にただ楽しんでいます。本当に関わり方はそれぞれですね。アリスの広場自体がそういう場所なんです。みんなでお茶を飲んだり、ギターを弾いたり、卓球をしたり、マンガを読んだり、勉強を教えたり教えてもらったり、と本当にやりたいことをやります。ただただお菓子を食べてお茶を飲んで、何でもない話をしていてもいい。ソファーもあるからそこで寝ていてもいい。やりたいことがなければ何にもしなくてもいいんです。本当に自由な空間です。

——滝沢さんとはいつ頃出会ったのでしょうか。

出会ったのは今年の春ですが、私がボランティアに入って1カ月もたたない頃でした。初めて会ったときは、「アリスの広場を題材にアートをしてくれるアーティストの方ですよ」とだけ紹介されました。それで、若者たちが帰った後に滝沢さんと話をしているなかで、私が心療内科に行って躁鬱病と病名をつけられた、という話をぽんっとしたら、「それってどういうこと?」というところからどんどん話を深めていって、それが今回の作品につながったきっかけです。

そもそもアリスの広場のボランティアをしているのは、私自身も不登校や引きこもりの経験があり大学で心理学を専攻していたので、アリスの広場に来ている若者たちとも話が合うんじゃないか、そういう雰囲気にも入っていけるんじゃないか、とすでにボランティアをされていた方に誘われたのがきっかけです。実際にアリスの広場に行ってみると、思いのほかものすごく馴染んでいます。

滝沢達史×アリスの広場 「表現の森」展 インスタレーション(2016)

滝沢達史×アリスの広場 「表現の森」展 インスタレーション(2016)

もう一度行くことが、克服するチャンスだと思った

——展示では大きな写真が印象的でしたが、撮影に至った経緯を教えてください。

最初は、私は「アリスの広場」のボランティアとして、展示作業を手伝うだけの感じでしたが、先ほどの私がいったことに滝沢さんが食いついてくれて、まずは部屋の再現と、私の声を流すことは先に決まりました。当時、私が使っていたものに似ている家具をインターネットで一緒に探したりとかして。窓の外から見える景色には電車の絵を使おうかとか、電車の音を流そうかと相談していたときに「(そこに展示するものが)実際の場所の写真だったらいいかもしれない」という話が出たんです。

(今回作品になった)撮影場所に行く話は、展覧会のオープン直前まではありませんでした。展示を考える過程では、うつで引きこもりだったときにベランダから見えていた歩道橋から飛び降りようとしていた、という話は以前にしていて、なんとなく滝沢さんと私の間で「行ったらどうなるかな」「今はもう懐かしいだけで、そこからまたトラウマが出てきたりとかはないと思います」と話はしていました。それで展覧会がオープンする数日前に「もし大丈夫そうなら行ってみない?」と滝沢さんが言うので、「じゃあ、ぜひ」と。克服するチャンスだと思いました。一緒に車で行く道中、本当にたわいもない話をしながら、笑いながら、ワイワイと騒ぎながら行きました。それで実際に住んでいた、引きこもっていたマンションにも行きました。さすがになかには入れませんでした。駅からマンションまでの道も一緒に歩いて「ここに桜が咲いて」「ひまわりがあって、四季が感じられる道なんですよ」とか話をしながら、歩道橋のところで「ここで死のうと思ってたんですよ」とさらっと、本当になんでもないことかのように話せてしまって、そこから自然と撮影に入りました。雨のなか2人で電車が来るのを待って「電車が来たよ!」とか言って写真を撮ったり。まさかそこで私が死のうと思っていたっていうふうには、全然見えなかったと思います。和気あいあいと撮影を終えて、帰り道も楽しい雰囲気で帰りました。だからすごくいい思い出になった。その歩道橋に上ることは2度とないと思っていたから、そんな楽しい記憶が上書きされるとは思ってなくて。今振り返ってみても、「暗い」「つらい」という思い出よりも、「そういえば、ここで写真撮ったな」っていう、そっちの思い出のほうが鮮明に出てくるので行って良かったです。

それが展覧会オープンの4日前だったので、滝沢さん的にはギリギリだったと思いますが(笑)。

——インスタレーションに使われている言葉は、その後に書かれたものですか。

撮影後ですね。「行ってみてどうだったか、なんでもいいので書けることを書いてもらえませんか」って。少しずつ書いて滝沢さんに送りました。

——再現された部屋に近づくと、Yさんの声が流れますが、いつ頃録音されたんですか。

1カ月以上前には撮ったんじゃないでしょうか。2時間ぐらいお話をして、滝沢さんがぎゅっと3分以内ぐらいにまとめてくれました。

——そのときにお話しされたことは、滝沢さんとは初めてお話しされることだったのでしょうか。出会って間もない人にそこまで話すことは抵抗ありませんでしたか。

深いところまで全部話したのはそのときが初めてです。でも滝沢さんは聞き上手というか、話しても大丈夫っていう感じがなんかあって、それでいろいろ話せたんじゃないかな、と。私自身もオープンな躁鬱病でいいやと思っていて、それを話すことに抵抗がないというのもあるかもしれません。

滝沢さんは聞き出すのもすごく上手いと思います。数えるくらいしか会っていなかったのに、それまで話せたのは人柄のせいもあるんじゃないかな。ちょうどいいところにちょうどいい相手がいて、お互いに必要とするものが合致して一緒に活動できたのは奇跡に近いですね。

——吐き出す瞬間は、もちろんつらい思いもあったんじゃないでしょうか。

録音の途中で泣きそうになったりはしました。号泣はしませんでしたが、話していくとその頃の記憶がどんどんよみがえってくるので、記憶の中に引きこまれそうになって。でも「それもいいこと」と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、泣きそうになってしまうけれど話せているし、聞いてくれる人がいる。聞いてくれる人がいるっていうのが、ものすごく大きかったです。1人で飲み込んでも仕方ないので、やっぱりどこかで出さないとパンクしてしまう。それをうまく引き出してくれたと思います。

——専門家がやるようなことに近いですよね。

たしかに一種のカウンセリングに近いなと感じていました。ただ大学で心理学を学んだこともあって、カウンセリングの場とカウンセリングじゃない場の違いも理解していました。もしカウンセリングだったら、もっとボロボロになっちゃうと思うんですけれど、その一線を越えないようにしていたので、大丈夫でした。つらかった時期から数年経っていますし。

——カウンセリングかそうではないかという違いは、滝沢さんの場合はどういったところにあったのでしょうか。

もちろん専門知識があるかないかの違いもありますので、返し方が違います。カウンセリングはクライアントの話をとことん聞きます。でも滝沢さんはそうではなくて、私も話したいことを話しましたけれど、それについて自分の聞きたいことをどんどん返してくれました。カウンセリングとはリアクションが全然違います。

 

生きていて良かったと思える瞬間はいつか来る、ということ

——今回こうした形で作品になったことについて、どのように思われましたか。

最初は滝沢さんと一緒につくりながら「私の過去がこんなふうになるんだ」という感想でした。「私の部屋」を再現したというイメージが強かったです。でもいろいろなお客さんが見てくれて、記事にもしてくださって、それを見るとすごく客観的に見えてきて。だんだんと本当にこれが私なんだろうかと思ってきました。

今は、私の過去がたまたま滝沢さんと出会って、それをいろんな方に見てもらって、もしそれで何か感じてもらえたならうれしいな、と。実際知人も友人も見に来てくれて「(あなたに)会いたくなった」と言ってくれました。それもすごくうれしくて、やって良かったし、こんなことになるとは思っていなかったです。

自分の過去に対する見方も変わりました。もともと過去に対してそこまでネガティブな感情を背負ってはいませんが、やっぱり内容的には重いものじゃないですか。死というものを考えているので。でも、それがあって今の私がいるんだよなって、外に出すことによって客観的になれた。自分の中にまた一つストンと落ちた感じがあります。ネガティブな要素もほとんどなくなりました。こういうふうに外にも出せるようになった、自分の成長を見れたなって。

——「会いたくなった」といわれたほかに、作品を見た方からの反応はありましたか。

展示された作品全体に関して、アリスの広場のボランティアの方は「アリスの広場がそのまま再現されている」と口を揃えていっています。私に関する展示は、そこだけ空気が違う、と結構言われます。私をよく知っている人は「次に会ったらギュってしてあげたいと思った」といってくれたりしました。

家族とも一緒に見たんですが「良かったね」と。たぶん思うところがいろいろありすぎるんでしょうね。「こういうふうに表現してくれる人や、必要としてくれる人がいて良かったね」といわれました。私のこのネガティブな部分を外に出して、形にしたいと思ってくれる人に出会えたのが本当に幸せなことだよね、と家族と話していました。

それから、最後に私が書いた「生きていて良かった」という部分なんですけど、それを見て「生きていて良かったって心の底から思えることってすごい。展示を見て私もそう思った」という反応があってうれしかった。「君が生きているときに僕も生きていて良かった」といってくれた友人もいて。展示しているものは重い題材なはずですが、プラスにとらえてくれる人が多かったです。暗い部分を知ることで終わらず、少しでもプラスに捉えてくれたらいいねと滝沢さんとも話していたので伝わって良かった、がんばってつくって良かったと思いました。

——展覧会がオープンするまでは何がどう起こるのかがご想像できない部分もあったと思うのですが、作品をどんな人に見てほしいとか、どういったメッセージが届いてほしい、といったアイデアはありましたか。

身近にいる人には見てほしいと思っていました。例えばアリスの広場もそうですけれど、引きこもりの方やその家族にももちろん見てほしいし、それだけじゃなくて引きこもりや不登校、うつ、自殺願望などとは縁遠い人にも見てほしいと思いました。できれば見た人と実際に会って話もしたいです。私は今では「自殺願望があったようには見えない」とよく言われます。そう見えなくても過去に悩みを抱えていた人もいるということを、ほんの心の隅にでも知ってもらえたらいいな、って。一つ、自殺願望があった人が見に来られて、もし気分が悪くなったらどうしようという心配はありました。

それから先ほどもいいましたが、重くて暗いだけではなくて「生きていればなんとかなる、生きていて良かったと思える瞬間はいつか必ず来る」というのが伝われば、というのは考えていました。

 

一緒につくった展示

——あの作品は滝沢さんとお二人でつくったものという感じがします。作品をつくるという経験をどんなふうに感じられましたか。

今までに関わったことのない世界なので驚きというか新鮮な毎日でした。本当に私としては、ちょっと展示の一部に関わったというぐらいの感じでしたが「2人でつくったんだよ」と(滝沢さんに)言われると、自分でも人と関わって一緒に何かをつくれるんだな、って。単純にうれしいです。ものをつくることに苦手意識があるので、つくり出せるんだなといい経験になりました。

——インスタレーションの配置は一緒に考えられたりしたんですか。

配置などは滝沢さんが全部考えて、一緒に搬入をしました。アリスの広場の人たちも搬入やカッティングシートを切ったり。カッティングシートを切るのは、前日の夜までアリスの広場のみんなと作業していました。今回、会場に置いてある漫画やソファーもすべてアリスの広場のものなので、本当にアリスの広場と滝沢さんが一緒になってつくれたという感じがします。もちろん自分たちが関わったからというのもありますけれど、アリスの広場に来る子どもたちがここにいても全然違和感がないような展示です。実際に見に来ていましたが、いつものように普通にソファーに座ってくつろいでいましたね。

——アリスの広場の子たちの反応はありましたか。

例えば、自分の化石の展示を見た子、卓球をした子など楽しんでいた印象です。自分たちの場所の展示という意識はある感じでした。滝沢さん個人の美術作品という感じではなく、その展示室にアリスを持ってきた、と感じてくれていたかな。

アリスの子どもたちには、私の過去についてはそこまで深くは話していませんが、私も不登校だったことや引きこもり、うつの時期もあったというのは知っています。だから、実際に不登校の子が「いつになったら、どうやったら平気になりますか」とかも聞いてくれます。経験している人の話を聞きたいというのもあるみたいで。私も特に隠さず、学校に行けなかった時期もあるし、でも大学にも入学できて、そこでも引きこもりになったけど、今生きてるよって。という話しだけして、聞きたいときだけ聞いてくれればいいかなと思っています。

滝沢達史×アリスの広場 「表現の森」展 インスタレーション(2016)にて展示されたYさんの言葉

滝沢達史×アリスの広場 「表現の森」展 インスタレーション(2016)にて展示されたYさんの言葉

 

[インタビュー=2016年9月25日、アーツ前橋にて/構成・投稿=佐藤恵美]

 

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