【展覧会:来場者の声】「見る」のではなく「経験」する展覧会(文=池上朋)
※本稿は、展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)に関連した来場者の声です
「見る」のではなく「経験」する展覧会
文=池上朋[いけがみ・とも/ゴールドスミス・カレッジ在学]
まず、アーツ前橋は地域の人々、アートに馴染みのない人々にも、何かを感じて持って帰れるような仕組みがたくさんある、すごく優しくて新しい形の美術館だと感じました。 また、展覧会の内容やスタッフの対応(丁寧に質問に答えてくださったり、とても親切な対応をしてくださいました)、空間の雰囲気から、作品と自分との距離がすごく近く感じられ、とても心地よく作品を鑑賞することができました。
普段美術に馴染みのない人にとって美術館で見るものは、ショーケースに入った特別なものであり、そこに隔たりを感じやすいのではと思います。そこで貴重なもの、美しいものを見たという経験以上のものを持ち帰るお客さんはどのくらいいるのかと疑問を抱きます。特に日本のようにアートが日常生活の中にあまり浸透していない国では、そのようなギャップを強く感じます。
私個人の意見として、日常にある問題だったり、無意識に見過ごしているものをアートというビジュアルに置き換えて見せてくれる/触れ合える場所であると同時に、そのことについての新しい考え方や想像力を引き出してくれる空間こそ、美術館の理想の姿だと思っています。アート作品をショーケースの中のものではなく、自分と繋がるもの/日常の延長線上として感じられる美術館こそ日本に必要な美術館ではないでしょうか。アーツ前橋は、私にとってそのような場所に感じられました。
展覧会「表現の森」は今まで見たことのないような展覧会で初めは少し戸惑いました。団地、福祉施設や学校など、私たちの生活と直接結びつく場所で行われたワークショップや活動の様子、アウトサイダーアートやタイムカプセルなど、あまりに多ジャンルのことが一つの展覧会スペースに展示されており、どのように道筋を作って見て行けば良いのかと混乱する場面がありました。きっと私がストーリーを頭の中で組み立てながら見ていく「展覧会」という仕組みに慣れているせいかと思います。「表現の森」というタイトルから、きっとそれぞれの表現が寄り添って一つのスペースを作ることに意味がある展覧会だと思いましたが、それでも、自分がどうしてこれらを美術館という特別な場所で見ているのか、なぜこれらがアートとして表現されているのか、そしてそれがどのように自分と繋がっていくのか、を示すような標識があったら、私はもっと展覧会の意図を自分なりに考え、より楽しめることができたかなと思います。
しかし、はじめに書いたように、作品(作家の表現)と見る側の距離がとても近く、展覧会の中に入って体験したり想像したりする仕組みが多いことで、「見た」という経験以上に作品を自分に置き換えて考えることができました。
アーツ前橋を訪れたことで、アートではなく「アーツ」の持つ意味と可能性を考えさせられました。それは地域の人々とアートを繋ぐキーワードのように思います。アーツ前橋は今まで私が見た日本の美術館の中で最も魅力的な美術館の一つでした。これからどのように変化し形作られていくのかすごく楽しみです。
(投稿=佐藤恵美)