【展覧会:レビュー】2つの協働と、森の行く末について(文=戸舘正史/一般財団法人地域創造)


※本稿は、展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)のレビューです。

2つの協働と、森の行く末について

文=戸舘正史[とだて・まさふみ/一般財団法人地域創造]

協働とは何か

「意外と展覧会になっているものだね」とある知人が言った。「表現の森」展のプレビューのときだ。同時進行で仕掛けた複数のプロジェクト、そしてその着地点というよりも通過点としての展覧会。きっとそういうことなのだろう。協働の形は様々であり、展示のコンセプトも様々であり、どこに焦点を絞るかで評価は変わってくる展覧会だった。本稿では、自律した展覧会への焦点と外に拡がる協働のプロジェクトへの焦点、2つの視座から振り返ることにする。

そもそも協働とは何だろうか。お上のスローガンとして社会的包摂が喧伝されるとき、そこには包摂する側と包摂される側という図式が構造化されていることに、私たちは自覚的であらねばならない。この主従の関係性に違和感を持つか持たないかは人それぞれだが、「協働としてのアート」と謳うときのパートナーシップにおいては、相互の関係は等価であるということが含意されているはずだ。「表現の森」というタイトルは、きっと共生の社会を見据えていて、あらゆる生物が共存する森をレトリックとしているに違いない。そして当然ながら、いくつもの表現=プロジェクトであるからこそ、その展示もアプローチも様々であった。それゆえに、協働のプロセスを何らかの形でコンテンツ化することの居心地の悪さもあったのではないだろうか。はじめにこの点を踏まえながら、フリースペース「アリスの広場」とベトナム難民のコミュニティ「あかつきの村」という2つの協働のプロセスを引いて、この展覧会を整理してみたい。

 

異化とヒューマニズム~「滝沢達史×アリスの広場」

滝沢達史の「アリスの広場」の展示空間は2つの視点で見ることが可能だ。ひとつめの視点で確認にできることは、まず滝沢達史というアーティストへの信頼がベースとなっていなければ成立しない作品であるということ。ここで目を引くのは、ある女性の記憶と過去の情景を表象したインスタレーションだ。女性の部屋の再現と飛び降りようとした歩道橋に立つ女性の写真を見ると、彼女はなぜここまで協力したのか? アーティストとどのように距離を縮めていったのか? といった過程を慮りたくなる。このインパクトのあるインスタレーションは、同じ空間に再現されている日常的で緩やかな風景(卓球台や漫画を読むコーナーなど)と相対的でもあり、重なっているともいえる。後者の方は、アーティスト自身がコミュニティに集う若者たちと交歓していた過程が浮かび上がってくる。一方で前者は、よりプライベートなコミュニケーションの過程を立ち上がらせている。どちらも、社会に生き苦しさを感じる若者たちを表象しているものであって、アーティスト自身が、対象との距離を柔軟に伸縮させながら、若者たちと真摯に向き合った物語が見えてくる。

以上の記述は印象論の域を出ないが、もうひとつの見方は構造的な視点だ。例えば、卓球台で嬉々として遊ぶ鑑賞者の存在。あるいは即物的で余白の多い展示空間の存在。これらの状況は明らかに作品の背景や文脈と断絶されている光景だ。この断絶されている光景が鑑賞者の眼前に薄いレースのカーテンのように立ちはだかる。それゆえに、鑑賞者は作品の背景や文脈に対する感情移入からずらされる。異化効果といってもよいだろう。アリスの広場というコミュニティが、様々な事情を抱える若者たちのサードプレイスであるとか、そういう“ソーシャリー・エンゲイジド・アート”的な要素はあまり意味を持たなくなる。この場合、私たちがこの展示から確認できるのは、構造でしかないということだ。そこにあるのは骨格であって、物語ではない。

しかしこのような構造的な整理をしたとしても、この作品はアーティストと若者たちのコミュニケーションの背景と文脈、すなわち物語の訴求力が圧倒的に強く迫ってくるのだ。物語性が構造を優る。作家性を出すのでもなく、過程をディスプレイするのでもなく、そして、当事者として語るのでもなく、非当事者として客体化するのでもない。この作品では、そのような対立する二項の狭間を行き来し、揺らぎながら展示に落とし込んでいったアーティストの苦渋とヒューマニズムが滲み出ている。しかしだからこそ、アーティストが他者との関わりの中で作品を展示することのパターンを確認できただけだと冷たく突き放すこともできるだろう。

滝沢達史×アリスの広場 「表現の森」展 インスタレーション(2016)

滝沢達史×アリスの広場 、「表現の森」展 インスタレーション(2016年)

 

非当事者的な再構築~「Port B×あかつきの村」

一方でPort Bの「あかつきの村」は、映像作品で見る限り、アーティストあるいはリサーチャーによる対象への眼差しは、完全にあかつきの村の職員に委ねられている。とりわけインパクトのある映像は、精神を病んでしまった男性と女性職員のやり取りを切り取ったものだ。その二人の関係性の距離感を捉えながら、カメラは完全に第三者的な眼差しで対象と向き合っている。当然ながら、二人の関係性を撮影することや、どのタイミングを切り取るかといったところで、アーティストの主観的な判断が働いているわけだが、被写体としての彼、彼女らに対しての眼差しは客観性に満ちていると断言したい静けさがある。

高山明を中心とするPort Bの、このコミュニティと他者への向き合い方は、純粋な知的好奇心が動機としてあるのと同時に、対象の中に潜む関係性や具体的なエピソードの外側にある歴史や文脈に焦点を定めているように見える。ベトナム難民を受け入れた共同体とその宗教性というトピックにアクチュアリティを見出し、人間的尊厳を担保する現場へアプローチすることに、芸術活動あるいは芸術表現の公共的価値を見出しているようにも見える。それは、演出家が戯曲を上演として立ち上げていくときに、戯曲の物語性を再現することを捨象し、戯曲に内在する注釈や背景、周縁の情報を素材としてポストドラマ的に再構築していくことにも似ている。というか、まさに演出家・高山明ならではの、芸術を媒介とした他者との関わり方であり作品化だ。そして今回の展示では「修練期実習記録」を会期中の毎日定時に朗読するというパフォーマンスがプログラミングされていた。当事者性に満ちている「修練期実習記録」を、まったく関係のない非当事者が朗読する。ベトナム難民を受け入れ、40年以上続く共同体の重層的な歴史を、非当事者的に再構築し、客体化し、一般化していたのが、この朗読パフォーマンスだ。2つあった映像作品も、非当事者的な再構築のバリエーションに過ぎない。ここには、「アリスの広場」にあったようなヒューマニズムが入り込む余地はあまりない。あるとするならば「修練期実習記録」そのものであり、あるいは精神を病んだ男性と向き合う女性職員にそれを見出せるに過ぎない。

結局はホワイトキューブに、他者との関係性の産物を展示するということは、美術館の外側の文脈や背景と切り離したとしても、くだんの作品を読み込めるかどうかという評価にさらされることでもある。つまり、当事者性と非当事者性の間を行き来するような逡巡や、アーティストと対象のコミュニケーションの過程における物語性などを抜きにして展示が成立するかどうかという観点から評価するならば、高山のアプローチはホワイトキューブと親和性があった。一方で滝沢のアプローチはホワイトキューブのフォーマットに収めるには、若干の座りの悪さがあったということでもあるが、そこに美術館による「協働としてのアート」の萌芽を認めるという見方もあってよい。

Port B《前橋聖務日課》、「表現の森」展でのインスタレーションビュー、2016年 PHOTO: KIGURE Shinya

Port B×あかつきの村《前橋聖務日課》、「表現の森」展 インスタレーション(2016年)
Photo: KIGURE Shinya

 

協働の循環

滝沢のアプローチに見られるように「表現の森」展はいわば成果物としての展示だけでは価値をはかることはできない側面も抱えている。そこでの大切な視座は、「協働としてのアート」というコンセプトを美術館が持続的に社会の中で紡いでいけるかどうかという点だ。協働を謳い、森に見立てた展示であるからには、森そのものと対峙しなければならない。そう考えたとき、この森には生態系はあったのだろうかという疑問を持つ。多くの生物が共存し、空気や水や光が降り注ぐ環境があり、永続的な生命の循環があるのが森の生態系であるならば、「表現の森」は、その条件をどの程度満たしていたのだろうか。私たちはあの展示空間に身を置き、作品たちと共存する意識を持てたのだろうか。「協働としてのアート」が永続的に循環する内に私たちは参加できたのだろうか。

例えば「釜ヶ崎芸術大学」の展示では“こあがり”がその活動をシンボリックに表象していたが、この“こあがり”や茶の間のような場所、あるいは内と外をつなぐ縁側のような場所が、すべての展示空間を覆っていたら面白かっただろうにと想像する。いわば美術館の外側の生活と展示空間が地続きであるかのような環境だ。わけもわからずふらっと観に来た子どもも、散歩ついでに寄った親子も、清掃のおばちゃんも、警備員も監視員も、誰も彼も、存在が受容される空間を作ることができたならば、現在進行形な協働の現場が生まれたかもしれないし、異なるプロジェクト同士の協働の系譜が立ち上がったかもしれない。

 

生活圏と地続きの美術館

アートが社会政策的な要請に応えていかなければならない傾向は、いましばらく加速度的に増していくのは間違いない。しかし、そうした観点からだけではなく、美術館もまた社会であり生活圏でありプロジェクトのフィールドであると読み替えることで、美術館は様々な表現をプールする場所にもなるし、協働の起点にもなることができる。アートが小さな営みとつながり協働するということは、誰もがその存在において表現を抱えているという前提に立つことでもある。美術館が、これも表現、それも意外と表現、あれも実は表現、というようなお墨付きを与えるのではない。それぞれの表現を内包しているのが社会であり、「表現の森」とはそういう社会のことをいうのだろう。

美術館の射程とする表現のバリエーションが拡張していくことによって、様々なコミュニティでの日々の生活の文脈と、美術館の中のアートの文脈が接続していくことになって欲しい。そこに「協働としてのアート」の具現を認めたい。そうなればきっと、他者の存在や出来事が、自分ごととして接近してくる。アートを語ることが、子育てを語ることになったり、かの国の諍いを語ることになったり、死んだあの人を語ることになったり、昨日の晩御飯を語ることになったりする。そうなったら、いちいち社会的包摂だの、多様性だのと声高に叫ばなくてよくなる。なぜなら、そんなことは「表現の森」において当たり前なことだからだ。

 

 

(投稿=佐藤恵美)

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