【展覧会:レビュー】福祉の課題解決ではないアート(文=星野久子/社会福祉法人群馬県共同募金会)
※本稿は、展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)のレビューです。
福祉の課題解決ではないアート
文=星野久子[ほしの・ひさこ/社会福祉法人群馬県共同募金会]
“自分事”として鑑賞する展示
「表現の森」展示の最終日。
期間中、共同募金の助成先である「アリスの広場」の展示がずっと気になっていたけれど、芸術とは縁遠い生活をしている自分はなかなか訪れるきっかけがつかめず、ようやく行こうと決心したのが最終日だった。
受付を済ませて入ると、コンパスを渡された。「表現の森」探検のスタート。コンパスを頼りに、展示を“自分事”として体験しながら進んでいく、というコンセプトと理解した。
福祉の分野でも今、福祉課題を“自分事”として捉え、住民の支え合いを基調としてみんなで解決に取り組むことが求められてきている。
「アリスの広場」もその一つだ。“不登校・引きこもり”の分野は、教育と福祉の狭間で支援のしくみがなかなか制度化されない。そんな中、不登校経験者が“自分事”として事業を起こしたのが「アリスの広場」。だから熱量があり、共感とともに支援の輪が広がってきている。
アーティスト・滝沢達史氏も何度もここに足を運び、若者と対話しながらワークショップを重ねたと聞いているが、おそらく心からの共感があったからこそ継続したのだろうと想像する。
“アウトリーチ”という福祉との共通点
もう一つ、「表現の森」と福祉との共通点を挙げるとすれば“アウトリーチ”だろうか。
この展示のアーティスト・滝沢氏は、協働の対象となる現場を何度も訪れ、時間と空間を共に過ごし、共感を引き出して体感的アートとして表現している。
福祉でも、潜在的ニーズを引き出して積極的に支援に繋げることが大切とされている。本当に困っている人は、声を上げることすらできないからだ。
とはいっても、アートと福祉・教育・医療との協働としての「表現の森」は、そういった潜在的ニーズを引き出すために取り組まれたわけではないだろう。
福祉とアートの協働でよくあるのは、アートを福祉の“療法”や“自立の手段”として取り入れること。対象となる“人”に着目し、その人の可能性を引き出すことで課題を解決しようと試みる。エイブル・アートなどの障害者を対象とした芸術分野の確立はその大きな成果だろう。
では、「表現の森」のアーティストの目的は、そういった福祉課題の解決だったのか?
または、対象となった施設や地域は、課題解決にアートを必要としていたのか?
おそらく、そのいずれでもない。何らかのねらいはあったとしても、それは偶発的な化学反応を期待しての異色のコラボレーションで、得たい成果はあくまで“芸術”であったはず。
「福祉」という言葉を超えて
人に寄り添いながら紡ぎ出したアートだからこそ、展示空間は居心地がよく、しかし芸術としてはやや難解で、見る側はそのギャップをどうにか埋めたいと思って、展示に至るまでのプロセスに関心を寄せる。アーティストと対象との間にある関係性さえも見せて心を動かそうとするその手法は、見る人の心の中にあるバリアをごく自然に取り除いてくれるかもしれない。
“福祉”という言葉で日常を切り分けられてしまう人たちがいる。
“福祉”という言葉は、一見やさしそうで、結構残酷なのだと思う。
もちろん、もともと福祉にそんなイメージがあったわけではなく、意味づけしていったのは私たち、社会だ。
そのことを後悔してか、ソーシャルインクルージョンとかダイバーシティとかを唱え始めているが、そのことに注視しすぎて騒ぐほど、溝が深まっているようにも感じる。福祉としての成果を求めるほどアファーマティブ(肯定的)になりすぎる懸念がある。
だとすると、今回の「表現の森」のような、芸術を切り口としたアウトリーチ手法による福祉・教育・医療へのアプローチは、より自然体で、人と人とをフラットにつなぐことができるのかもしれない。そんな可能性に、ちょっとワクワクする。
もし「表現の森」の続編があったら、今度は、初日に訪れたいと思う。そして何回か訪れたいと思う。自身の反省と可能性への期待を込めて。
(投稿=佐藤恵美)