【関連シンポジウム:記録】トークセッション③「社会における場づくりとアートの可能性」
※展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)の関連企画として開催したシンポジウム(2016/8/27, 28)の内容をお届けします。
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滝沢達史は、2016年3月より前橋市内にあるフリースペース「アリスの広場」に通い、学校へ行くことに困難を感じる若者たちと接し、「表現の森」展ではインスタレーションを試みた。このシンポジウムでは、アリスの広場を主宰する佐藤真人氏と、群馬県太田市にて心と身体を総合的に診るサヤカ・クリニック院長の関根沙耶花氏を迎えた。ゲストにはアーティストで京都市立芸術大学教授の小山田徹氏、モデレータを群馬大学教授の茂木一司氏が務めた。
◎日時:2016年8月28日(日)13:30-14:30
◎スピーカー=
滝沢達史(アーティスト)
佐藤真人(NPO 法人 ぐんま若者応援ネット アリスの広場 施設長)
関根沙耶花(サヤカ・クリニック院長)
◎ゲスト=
小山田徹(京都市立芸術大学教授)
◎モデレータ=
茂木一司(群馬大学教授)
当事者の立場から開く、
不登校・引きこもりの居場所
茂木:私は群馬大学の教育学部で教員を務めています、茂木一司と申します。
まず、みなさまの席にそれぞれ一つずつ石が置いてあります。これは滝沢さんの仕掛けですが、みなさんがどのように活用されるのかは自由だそうです。それでは、最初に滝沢さんから、今回のプロジェクトについてご説明をしていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
滝沢:滝沢と申します。今回はアーツ前橋から、社会的にマイノリティである人達と協働をテーマにした展覧会をしたいと持ちかけられました。僕はもともと特別支援学校に10年勤めていた経験があったため不登校や引きこもり、または発達障害のキーワードで、前橋市内から2つの施設を紹介いただきました。それが「アリスの広場」と「サヤカ・クリニック」です。それぞれのお話を聞きどちらの活動も興味深く感じてしまい、「どちらとも付き合います」という二股を選びました。(会場笑)たぶん「表現の森」のほかのプロジェクトは1対1のパートナー関係でやっていると思いますが、僕だけ二股をかけてのスタートとなりました。まずはそれぞれの活動をご紹介したいと思います。
佐藤:不登校や引きこもりの方の居場所「アリスの広場」を運営しております、NPO法人ぐんま若者応援ネットの代表の佐藤真人です。私たちの活動について、簡単な紹介をします。
私が若者の居場所を開いたきっかけは、自分自身が中学1年生から約6年間、不登校・引きこもりだった経験があるからです。なぜ不登校になったかと言いますと、私の場合は緊張とかいろんな環境変化に対応できず、学校に行くとトイレが極端に近くなるようになりました。ひどいときは5分おきでした。その後間もなく、学校に限らず家でも同じような状態になってしまい、外出を極端に嫌うようになってしまいました。そのため最初はどうしたかというと、父親に車で15分〜20分の近場に連れてってもらうことから練習し始めました。徐々に距離を伸ばしていき、1年経ってようやく家から2時間かかる祖父母の家に行けるようになりました。
不登校になってしばらくの間は、もう学校には行かなくていいんだという開放感がありましたが、やはり1年半〜2年経つと、人恋しさが出てきたんです。当時は1990年代半ばで、インターネットがまだ普及していなかったので、不登校だと完全に孤立してしまう。そうしたときに、埼玉県所沢市にあった「バクの会」と、群馬県渋川市にあった「パスの会」という2つのフリースペースに通えるようになっていきました。そして17歳の頃、たまたま近くに大検(高校卒業程度認定試験)の予備校ができました。そこに通うことを決め、大検を2年かけて取得しました。その後、たまたま家からすぐ近くの大学に文系学部が新設されることになり受験し、20歳で大学生になりました。
大学卒業後は勉強や学校が楽しいこともあり、東京の大学院に進み、2年で修士課程を卒業しました。就職先は自分の望むところには行けず東京で、営業の仕事に就職。会社全体として体育会系で厳しいことに加え、特に直属の上司が毎日のように怒鳴り散らすタイプでした。その環境になかなか耐えられず半年でやめることになりました。ただ、このまま家に引きこもったらまた同じことになってしまう、というのが自分のなかであり、公務員の予備校に通って試験をいくつか受けましたが、残念ながら全部ダメでした。このとき2008年のリーマンショックの直後で、非常に公務員の倍率が高かったこともありました。
それでいよいよダメかと思ったときに、以前お世話になった「パスの会」の代表の山口さんから「最近どうしてるの?」という感じの手紙が届きました。それがきっかけで、就労体験を紹介してもらいました。これは、パスの会に通うメンバーが2000年代になってだんだんと年齢層が上がり、私のように20歳以上の挫折した若者や、働くことに抵抗や怖さを覚えた若者のために、理解のある会社にお願いし、気軽にできるアルバイトや、仕事体験ができる場をいくつもつくっていたのです。私もハウスクリー二ングや老人ホーム、大道具のアルバイトなどをいくつかしました。それがとても楽しくて、私は自信を取り戻し再び社会で働けるようになりました。
そういう意味ではフリースペースに10代でお世話になって、20代でまたお世話になりました。ただ、お世話になったこの2つのフリースペースが、代表やスタッフさんの高齢化により、2010年以降に相次いで活動を終了してしまいました。ちなみにこの2つのフリースペースはともに1987年から活動を行っていた団体ですから、フリースペースという面では全国的にもかなり早く活動をはじめた場所ではないかなと思います。私としてはお世話になったところがなくなってしまったので「寂しい」というのもありましたが、それ以上に「もったいない」という気持ちが強くありました。そんな思いを抱えているとき、現在アリスの広場を支えてくれている伊澤さんと「パスの会」のつながりで知り合うことができました。伊澤さんは、経営などいろいろなお仕事をやっている方ですが、彼に自分の今までの過去の経験を話しているうちに「場所はあるからやってみないか」と言っていただいたことがきっかけで、フリースペース「アリスの広場」をオープンしました。
「アリスの広場ってどういうところなのか」というと、不登校や引きこもりの若者が家から一歩外へ踏み出すことを目的とした、好きなときに訪れて、自由に過ごせる空間です。スタッフだったり僕だったり年上に悩み事を相談するのもいいし、一人で本を読んだり勉強するのもいいし、あるいは仲良くなった友だちと一緒に遊んだりおしゃべりしたり、買い物や散歩をしてもいい。なんでもOKという、そういう自由な場所です。受け入れているのは、下は小学生から上は30歳くらいまで、かなり広く受け入れています。なかでも一番多く来ているのは、高校生〜大学生くらいの年齢の若者たちです。
月に1回、料理会というイベントを開いたり、最近は七夕まつりやクリスマス会、年末といった季節ごとのイベントも行っています。また、主に親子を対象にした講演会も定期的に開催しています。つい先日も講演会をして、元不登校や引きこもりの経験のある若者を講師に呼び、話してもらいました。講演会はリピーターもいるほど好評で、その様子は新聞にも取り上げてもらいました。そのほかの活動としては、4月から近くにお借りしている、アリスの畑で農業体験を行ったり、アルバイトに興味がある子には、アリスの広場の入っているビルのフロアのお掃除のアルバイト体験をしたりしています。アリスの広場に来ることを通じ、まずは外に出ることに慣れてもらい、いろんな人たちと話して視野を広げてもらい、次のステップへのきっかけの場になればと思っています。実際この春に、半年〜1年以上通っていた若者たち数名が復学や進学したりし、ここを巣立っていきました。現在は4〜5人の子どもが利用しています。
病院の枠組みを超えた心と身体の健康づくり
茂木:まだ3年目の活動で利用する人も多くはないですが、少ないからこそアットホームな雰囲気のある場所です。では、続きましてサヤカ・クリニックの関根さん、お願いいたします。
関根:私は前橋市内にサヤカ・クリニックを開業しています。前橋は地元で、高校卒業後は群馬を離れましたが、一昨年開業を機にこちらへ戻ってまいりました。その前の10年間は、自治医科大学という大学病院で働いていました。そこでは、隣の研修医と切磋琢磨しなくてはならないし、研究成果は世に公表してその論文がどのくらい評価されるか、どれくらい自分の技術が磨かれているかなど、すべて競争のなかで生きていかなくてはならず、私はそのなかで疲弊していました。
さらに疲弊していたのは、自分が出した薬がもしかしたら患者さんの害になっているかもしれないと考え始め「医療ってなんだろう」と思っていたことです。自分が提供していることが本当にその人の健康になっているのだろうか、と。病院の枠組みの中だけでは、自分の理想とする医療を提供できず、燃え尽き症候群のようになりました。
それで怪我をしたこともきっかけとなり退職しました。私は内科医として勤務していましたが、そのなかでも心臓や消化器といった専門にしぼるのではなく、総合診療医として人を丸ごと診ていきたい、体全体を診たいという思いで10年間働いていました。
開業してからは、心療内科にも取り組むようになりました。私もストレスで胃が痛くなったり、怪我をして骨折することになったりで、やはり心の問題が良くならないと身体も良くならない、と自分の身をもって感じていたんです。
こうしていろんな活動をしていくうちに、もともとは内科で大人を対象にしていましたが、子どもも見るようになり、発達障害と呼ばれる子どもたちがうちのクリニックに来られるようになりました。私は小児科医でも心療科医でもなく総合診療医ですから、発達障害に関して専門性を持っていません。でも、どこにいってもうまく治療ができず、薬漬けになってどんどん引きこもっていく子どもたちのために何かしたいと思って診療を始めました。
当事者の話を聞いてわかったことは、発達障害は未発達ではなく過発達であるということです。普通とか普通じゃないとか、能力があるないとか、そういう問題を超えて進化した人たちです。例えば、小学校低学年の子どもが診療にきたとき、大人以上に高度な内容を話していました。あるテレビドラマを一度見たら自分の中で次々と話をつくってしまうので、次の展開を見るのが嫌になってしまう、とか。私が想像もつかない話をします。そうしたことから学校教育との齟齬が生じ、生きづらさを抱えていることがわかったとき、進化すべきは私たちが生きる社会ではないかと思いました。子どもたちの進化に社会の仕組みがついていけていないから、私たちが新しい社会の仕組みをつくっていかなくてはいけない。競争に疲弊した社会ではなく、みんなが喜びを持ち、自由で、コミュニケーションをとれるような、新しい価値観をみんなでつくっていかなくては、と。
それは病院内での診療だけでは実践できないので講演活動も同時に行ってきました。診療という枠のなかでは、患者さんと私は依存関係に陥ってしまい、心の進化を促すことができません。なぜ依存関係になってしまうかというと、多くの人は自分の身体を部品のように考えていて、胃や頭を取り出して医者の手で治しもらう、といった印象を持っていることが多いのです。それでは人任せになってしまう。そうではなく「あなたの身体だから自分で考えましょう。考えるお手伝いを私はします」ということを講演会で伝えています。その活動が今、NPO法人に申請中の「ぐんまHolistic Health College」です。私たちのコンセプトは「病院を出よう、まちへ出よう」です。アーツ前橋が美術館を出て地域で活動しているように、私たちはクリニックを出て活動しています。
そうしたなかで滝沢さんとの出会いがあり、太田市で発達障害がテーマの「生きづらさの先に咲く花」という講演会をさせてもらいました。いつも大人しか対象にできなかったのですが、これは初めて親子向けの講演でした。親子を対象に講演会をしたいと言ったとき、アリスの広場をお借りして、滝沢さんに子ども向けのアートのイベントをしていただきました。これはお子さんにもとても良かったし、お母さんも普段子どもがいるので話が聞けない、という方たちが来てくださって好評でした。100名近くの方が集まってすごく大盛況で、こういった形を通じて少しずつ意識の進化を促していきたいと思いました。
このように、私自身は、自立した心と身体の健康づくりを病院の枠組みを超えてやっていきたいと思っています。そのときにやっぱりアートってとても素晴らしい力をもっている。地域の人やアーツ前橋の人たちと協力し、みんなでやっていきたいと思います。
茂木:ありがとうございました。では、滝沢さんがそのお二人のところで行っていた活動について簡単にご説明をお願いします。
「周囲の期待に応えない」ことを見せたい
滝沢:僕が一番最初にアーツ前橋からお話をいただいたのが2015年の12月で、そこからアリスの広場(以下、アリス)と関根先生の情報をもらい、アリスに通い始めたのが今年の3月下旬からです。
僕は、アーツ前橋でどうしたら展示できるのだろうと困りました。展示するスペースは結構広いし、アリスに行ってもみんなとお茶を飲み、他愛もない話しかしていない。アリスに行くと、大概は卓球をやって終わってしまいます。広い部屋に卓球台が一台あり、そこで卓球をするのですが、腕のいい子がいて負けたくない!とムキになってつい集中してしまう(笑)。楽しいけれど作品をどうしよう、と焦りました。
アリスのみんなにも「どんなことができるかな」と話をしたけれどイメージが湧かないので「みんなでアーツ前橋に行ってみない?」と思い切って佐藤さんに相談しました。彼らのなかには家とアリスしか行けない子どももいますから、かなりハードルが高いけれどいいチャレンジになるんじゃないかと、展覧会を見に行きました。
初めてアリス以外の場所に行くという子もいるなか一緒に作品を見て、アリスに帰りました。そこで「僕はあの広いスペースで展示するんだけど、一緒に何かできないかな」という相談をしたんです。このときに想定していた展示は、引きこもりの人たちと僕が出会うことによって感動的な作品ができ上がるということだったかもしれません。そのために彼らから何か引き出そうと卓球の合間にちょっと相談しましたが、ことごとくかわされました。それで悩み、時間ばかりが過ぎていきました。
先ほど関根先生のお話にもありましたが、その後アリスで行われた講演会の際、僕はワークショップをしました。アリス以外の子どもたちも来ましたが、人がとても多かったのでアリスの子たちはなかなか関われず、アリスの子どもにとっては居づらい場所になってしまった。それでこういう形ではだめだなと思い、方向性を転換しようと考えました。
アリスの子どもはみんなすごくいい子でよくできる子たちばかり。ではなぜ引きこもりになったかというと、“周囲の期待”に応えたいという気持ちがすごく強く、それがかなわずに心が折れてしまうのです。だから「期待に応えなくてもいいよ」ということをいってあげたいと思いました。それには、はじめに目指していたような展示はできなくてもいいな、と思うようになりました。“周囲の期待”に応えることをむしろやらないほうがいい、と思ったんです。
それで、僕はアリスに通うなかで経験したことをとりあえずこの展示室に再現しようと思って、アリスの一部屋を再現したのがこの展示になります。そのなかで一つ紹介したいのは、アリスにボランティアに来ている女性とつくった作品です。彼女へ2時間くらいインタビューをし、それを短くまとめて音声で流しています。アリスでは、過去に引きこもり経験がある方をボランティアに積極的に採用しています。彼女は自分の心の問題をもっと知るために、大学で心理学を専攻し、それで自身を客観的に少し見られるようになり、アリスにもボランティアに来ています。彼女に協力してもらい、過去を語ってもらうことになりました。
彼女と会話をするうちに、自然と「(引きこもっていたときは)どういう部屋に住んでいたの?」といった話になりました。それで、その部屋を再現したいという相談をしました。当時使っていたカーテンや窓を、彼女がインターネットで調べて教えてくれるんです。それを彼女と一緒に買いに行き、展示の設営も一緒にやりました。自殺を考えながら引きこもっていたすごく辛い場所の再現だけれども、彼女も「あ、こんな感じ!」というように楽しそうにしていて、僕自身もその共同作業が楽しく、不思議だなと思っていました。展示の1週間前に「当時の場所に行ってみたいと思う?」と聞いたら「そうですね。行ったら懐かしいかな」ということで、当時彼女が住んでいたアパートや自殺を考えていた場所に行き、撮影をした写真も展示しました。
なぜ楽しかったのだろうと考えていましたが、昨日の石原先生のレクチャーでの「研究」という言葉を「アート」に変えると今回僕がやったことを当てはめることができて面白いと思ったので少し紹介します。
まず「問題の棚上げ機能」です。当事者にとってのアートは、アートという形をとることによって、自分の問題に向き合うと同時にその問題を棚上げすることが可能になる。つまり彼女が自分の辛い過去を話すのは通常は難しいけれど、彼女と僕の間に作品があって、作品のなかで当事者の話という形になったとき、彼女は自分のことを客観的に棚上げして語ることができる。アートという形をとることによって、自分で語ることのリスクを軽減し、当時者に語りを取り戻させる「語りの回復」が起こったのです。自殺したかった場所に行くという、通常はありえなかったことが、作品のために必要であることが生じたとき、その場所に行くことができた。彼女にとってはすごく辛かった場所が「改めて訪れたことによって上書きできた」と言ってくれたんです。辛かった場所が楽しい場所に変わった。「コミュニティの形成」ということで、あとはコミュニティを必要とすると。この展覧会や展示空間があったことによって、彼女との関係が生み出せたし、これには展覧会という必要性があったのかな、と僕の中ですごく腑に落ちました。
アリスの広場のような場所を
茂木:では、ゲストのコメンテーターの小山田さんに今のお三方のお感想も含めたお話をお願いします。
小山田:京都から来ました、小山田と申します。僕がなぜここにいるのか、ということからお話しします。今日はみなさんの席に石がおいてありますが、人としゃべったり、時間を過ごしたり、話を聞いたり、飲み食いしたりするときに、石とか何かを握っていると妙に心が柔らかくなる。それで「握り石バー」っていうのをたまにやっています。バーにお酒がキープされているように、自分の好みの石が置いてあって、それをにぎにぎしながらお酒を飲む。なぜかおいしいんですよね。それと会話がマイルドになる。そういう妙な感覚があって、私自身は、人が時間や場を共有する「共有空間」を生活のなかにつくり出すというのをやっています。
今日は場と時間を共有する場所をつくろうと思い、滝沢さんに石を拾ってきてもらい、置いてもらいました。さまざまなプロジェクトをされているなかに、いろんな要素が潜んでいるはずなんです。話をするときにテーブルにきちんと座って「はい、ミーティングしましょう」というのが本当にいいのか。身体を動かしながら、作業をしながら話をした方がすんなりいろんな話が出てくるのではないか。そういったいろんなシチュエーションや、ものの使い方、それらを人類は過去の生活のなかでいろいろと開発してきたはずなんです。でも、そういう身の回りにあるものを利用する感覚は、なんとなく現代人は忘れてきているのではないか。すべてが新しく用意され、与えられた空間のなかでなんとかしなきゃいけないといった生き苦しさをむしろつくっているのではないか。こうした仮説でいろいろなものを利用して試しています。
本当は今日のような場も、焚き火を囲んで話せたら一番良いいんです。今まで色々と試したなかで、焚き火が最強でした。焚き火さえあれば黙っていても大丈夫。直接顔を見なくても自然に話ができるし、自己紹介がなくてもしゃべっていられる。小さな1つの焚き火を6人くらいで囲むような環境は、実は10万年以上前から人類の日常の風景でした。けれど、ここ60年くらいの私たちの生活のなかで、直火が家や社会から消え、今はもう焚き火はまちなかではできません。本当は焚き火に代わるものをつくり直さなければいけないのではないでしょうか。それは食卓だったり、飲み屋だったり、さまざまなシェルターやフリースペースだったり。そういう集まりやすい、もしくは居やすい、心地いい場所をなんらかの形でつくる必要があるのかなと最近思っています。
この社会のなかにアリスの広場みたいな隙間のようなものを、どのような形でつくりあげていけるのかなと考えています。そういった場所で実践されたものが、それぞれの家庭や仕事場などで少しずつつくり変えられながら分散し、隙間がたくさんある状態をどうしたらつくっていけるのだろう、と考えています。アリスにあるような卓球台が、どの会社やどの学校にもあればいい。最近の新しい図書館は、自由なポーズで本が読めるような場所が増えてきたけれど、そういうものも隙間の一つかもしれません。みんな机に座って「はい、本を読みましょう」とかは、むしろ集中できなかったりしますよね。ゴロゴロしながら読んだり、机の下で読んでもいいといった環境をいかにつくれるかを考えることが必要なのでしょう。といったことが今のお話の感想ですが、できれば「居心地の良さって何か」といったことを、これからみんなで話せたらいいなと思います。
「居心地の良い」場所の役割と生まれ方
茂木:小山田さんから「居心地の良さ」というキーワードが出たので、それについて話をしたいと思います。できれば、答えや意味、目的などをもたない行為の良さについてもお話をできればいいなと思っています。佐藤さんいかがでしょうか。
滝沢:アリスの広場に行くと、すごくぼんやりできますよね。なぜできるのでしょう。
佐藤:アリスの広場には、時々お問い合わせがあり「そちらでは何ができるんですか。行くと何をやるんですか」と聞かれることがたまにあります。アリスの広場は、カリキュラムがあってそれに従ってやる場所ではありません。というのも、いろんな原因があって不登校になり、それでもアリスに来るということは、なんらかの形で家族以外の人と話をし、コミュニケーションがとりたいからなんです。
特に不登校や引きこもっていた子たちからすると、アリスに来ること自体、非常に大変なことです。精神的にも体力的にもエネルギーを使うので、そこに来てさらに何かをやらせるというのは、学校と変わらなくなってしまう。行くだけで精一杯なのに、そこで何かやらなくては、となると疲れてしまいます。だから、アリスは家でもない学校でもない第3の居場所というコンセプトでやっています。おしゃべりをしてもいいし、漫画を読んでも、卓球をしても、寝っ転がってもいい。そういう感じで自由に何をしてもいいという空間にしています。
滝沢:初めてアリスに伺ったとき「何もない」というのが、印象的でした。「引きこもり」という言葉自体、特殊なものという印象を受けますが、そうではないということですよね。名前が付けられたから病気だとか問題だとか思われるかもしれないけれど、そうじゃなくて、ただそれを支える仕組みがなかなかないんだな、と感じました。
佐藤:私たちは将来のことを自分で考えてもらうことを大事にしています。周りから色々と言われると、また振り出しに戻ってしまうことがあるのは自分の経験からもわかるのです。やっぱり時間が必要なんです。
一見何もしていない、自由に過ごしているだけじゃないかって思われる方も結構いるし、フリースペースの経験がない方はほとんどそうだと思います。実は自由に過ごしているようにみえるけれど彼らなりに少しずついろいろと考えていて、半年、1年、2年、3年と人によって違いますが、ある段階で初めて自分のなかで「これからどうしていこうか。どうしていったらいいのかな」とようやく考えられるようになる。そのために必要な時間だと思います。
さきほど滝沢さんもおっしゃった通り、結局引きこもりや不登校になるまでは、みんなすごく真面目な子が多いんです。進学校に行っていた子が実は多い。要するに、親や学校など周りの期待に応えて、小さい頃から課題や宿題に応えて、強制的にやらされる、自分の考える余地もなくやらされることをずっとやってきた。そこで「これはなぜだろう。おかしいんじゃないか。なぜこんなことやらないといけないんだ」と気づいた子たちが、不登校になることもあります。
関根:佐藤さんのおっしゃるように、子どもたちを診療していると、自分の課題や問題を気軽に話せる場所がすごく少ないと感じます。友だちや家族に対する些細な想いを、すごく深刻そうに話す子どもや大人が多いです。これって医者に話さなくても、もっとオープンな場所……それこそ焚き火を囲みながら、もっと気軽に「私、こんなふうに思ってるんだけど」と話せたら、診察に来なくても心のケアはできるのではないか、と思います。
小山田:今はほとんどの場所には主目的があり、学校は勉強して集団行動を学ぶとか、公共の休憩所でもルールがある。クリニックや病院も目的のために行かざるを得ない場所。そういうものだけに囲まれて、たぶんその窮屈さに気づいた子たちなのでしょうね。だから、社会がそういう主目的ではない工夫をどう持てるかが試されている気がします。
たとえば、パーティーに行って誰も知り合いがいなかったら、壁際に立って所在なげにしなきゃいけない状況ってありますよね。立食パーティーで喋る相手が誰もいない。ああいうときって本当に辛いですよね。なぜそういうことが起こるのかと思うと、自分がお客さんだからなんです。もし隣の人が洋服にワインをこぼしたりして、それを一緒に拭いてあげた瞬間に、居場所ができるときがあります。パーティーの片付けを手伝ったりして、みんなでテーブルを運ぶ瞬間に労働が発生して、そこにいる意味が立ち上がってくる。そういうことですら人の存在の仕方が変わるんだなと思うのです。
焚き火や食事は、おそらく過分に労働がくっついてきている。焚き火は見ているだけだと火は消えるので、世話をしてあげなければならない。それで自然に労働ができていく。食事も自分がゲストで行けば至れり尽せりだけど、みんなでやろうとしたら、労働しながら食べることになる。そういうものを増やしていくと、しゃべりやすくなったりするのかなと思います。
滝沢:以前にこのパーティーの話を小山田さんに伺うことがあって「そういうことだ」と思い、今回ぜひお呼びしたいと思いました。パーティーで友だちがいなくて寂しい、でも隣の女性が飲み物をこぼしてしまったエラーによって初めてその場に参加できる。そのエラーやアクシデントって、アーティストやアートと同じじゃないと思いました。アートとグラスをこぼしたことが似ているとすると、そのことに意味や価値があるかというと答えはでないのです。その人にとっては価値があっても、それは単にアクシデントで意味があるわけじゃない。だから、今回の展覧会でアーティストが現場に行くことでいろいろなエラーが起こったと思いますが、それが起こることで人の居場所が生じているのかな、と小山田さんの話を聞いて思いました。
心地良さを探っていく
茂木:それでは、みなさんからもう一言ずつ何かありましたらお願いします。
滝沢:医学的に「居心地がいい」と感じる身体の状態はあるのでしょうか。
関根:脳内ホルモンの状況です。たとえばセロトニンが多い状態は、すごくリラックスしているし、居心地がいいと感じていると推定します。
小山田:たとえば子どもが森に入るとき、その子が怖がっていたら枝を持たせると急に森に入れるようになるそうです。それはなんとなく勇気が湧くとか、手に何か持つと作用があるとか。「居心地の良さ」の話だと、現代は脳に与える情報の量や刺激が大きいのではないかと思っています。「リフレクション」と「発光体」は違うんじゃないかと思っていて、自然光が当たって反射して見える現実世界と、電灯や液晶画面のように発光体が発するものは、脳に与える情報の加減が違うような気がしています。
佐藤:私の施設は、若者がいかにそこでリラックスしてくれるかを一番大事にしています。午前中に初めて来たある女の子が、午後になって眠たくなりソファで昼寝していたことがありました。その子は場に慣れるのが早かったのですが、そういうのを見ているとリラックスできる場になっているのかなと感じ良かったと思います。
滝沢:その子も内覧会の日に初めてこの展示空間に来て、アリスの広場にいるときと同じようにマンガを読んでいました。この作品と、アリスの広場の隔たりがないように思って、僕も良かったと思いました。
茂木:私は学校の先生を養成する学部に勤めはじめて35年くらい経ちますが、やはり世の中がどんどん学校化あるいは病院化し、そのなかでしか生きられない仕組みになってしまっている、と感じています。そういうところに敏感な人ほど馴染めなくなってしまっているのではないでしょうか。一方で、そういう気持ちをほぐしてくれる場があるのではないかとも思います。特別な場所でもいいから、そういう場が用意されていることも意味があるでしょう。
滝沢さんが今年の2月に広瀬川美術館(前橋)で企画・展示された「ドーン/こんなところに表現」という展覧会を思い出すと、あのようなゆるさの中にこそ何かいいことを産む気がしました。
滝沢さんにとって今回、「展示」という形は難しかったかもしれませんが、展覧会の趣旨から考えると「素のままの」本当に良い展示だったと思います。今回みなさんにお話しいただいたようなことも同様です。(よい悪いは別にして、私たち人間は)発展する可能性を持つ存在として開かれています。私たちはこれまで以上に発展の可能性を受け入れていくスタンスを持っていきたいと思います。本日はみなさま、ありがとうございました。
(構成・投稿=佐藤恵美/構成協力=高橋和佳奈)