アリスの広場 若者の執筆(1)Mさん


高校1年生のある朝、いつものように家を出て登校するふりをし、学校の最寄り駅で降りたところで学校には休みの連絡を入れ、下校の時間までどう過ごそうか考えていると、こんなアイデアが思い浮かびました。

「電車に飛び込んで死のうかな。」 しかし、そんな度胸は持ち合わせていなかったのでこうしました。

「確か、アリスの広場がこの近くにあったはず。もし、そこが開いていたらまだ生きてみよう。逆の場合は、駅に戻って帰る方面の電車に飛び込もう。」

これが、私がアリスの広場に初めて行った日です。

私は中学から高校にかけての約 4 年間、不登校でした。“なぜ”を言葉で表そうとすると、心の中が曇ってしまい、太陽や月、星、雨や雪などで、ある言葉が隠れ、書くことが難しいです。ですから、どれくらい学校が苦手だったかを書きたいと思います。 それは家、登校中、校内と自力で過呼吸を起こし、学校から自分を遠ざけようとする程でし た。身体に“症状”という形を表し、学校に頑張って行こうとする姿を見せることで、初めて学校に行かないことを大人たちに認めてもらえている気がしました。彼らがまた忘れたら、これを繰り返す。だんだんと、生きる中で“大人たちに認めてもらうための自分”を演じてい くようになりました。

「高校からすべてやり直そう。」そのような気持ちが強く、中学の時の自分と何一つ変わ れていないことが悔しかったです。不登校になってからいちばん迷惑をかけ、傷つけてしまった親に、当時、私が見せたかった姿は“楽しそうに学校に通う子ども”でした。友達や多くの家庭の子どもたちができていることが私にはできず、なぜ生きているのか分からなくな り、自殺を最後の迷惑にしようと考えたのです。

初めてゆったりアーツに参加したのは、その朝のできごとからおよそ 4 ヶ月後でした。 どんな作品を見たのか1つ1つを鮮明には覚えていないのですが、見る位置によって絵が変わる作品の印象が強く残っています。ゆったりアーツ終了後、アリスの広場に戻る前に100円ショップに寄り道をし、美術部の活動で使う画材を買いに行ったことをよく覚えています。絵を描きながら話すというということは、作業が伴っており、相手の顔を見なくても よいせいか、普段よりも会話がしやすかったです。また、会話をしなくてもいいところも魅力です。 私はこの時、定時制の高校を中退し通信制に編入したばかりでした。学校に毎日通わないので特定のおしゃべりをする相手はいませんし、授業を受けに登校する人たちも毎回違うメンバーでした。コミュニケーションを必要とする授業がない日もあったので、家を出てから 帰宅するまで一言も発さないこともありました。だからこそ、家族以外の人たちと話す機会があるアリスの広場は、当時の私にとって心地よかったのだと思います。

美術館に行くと「わぁ~」「すごいな~」「どうしてこの作品をつくったのかな?」という、これらの感想しか出てこないことが多かったのですが、閉館日の静かな美術館、アーティストさんや学芸員さんの解説を聞ける、強制されることがない、という素敵な条件が揃うと、 作品への興味が湧きやすくなることはもちろん、開館日の美術館で人が大勢いたら素通りしてしまうような作品も、じっくりと見て考えをめぐらせてみることができるため、私は作品で勝手にお話をつくり、頭の中で遊ぶことが多くなりました。

この年には中之条でのゆったりアウトドアにも参加しました。いつもの美術館とは違い、どの作品を鑑賞していても自然の空気を吸っている感覚が不思議でした。私は以前から、どこかに泊まりで行くと、誰と行こうがその日の夜ごはんが食べられないことが悩みでした。 しかし、この日は食べられました。なぜ食べることができたのかは分かりませんが、美術や自然の不思議な力がはたらいたのかもしれません。もしかしたら、一緒に行った人たちのことを信頼していたのかもしれません。その日の夜は布団に横になりながら、同じ部屋の人とお互い自分のことについて話してみたり、次の日の朝は若者たちだけでおしゃべりをしたことが印象深いです。

月に1度会うか会わないか、もう会うことがないかもしれないという関係性でも、ゆったりアーツやゆったりアウトドアを通して、その時だけでも色んな人とお話ができたことは、今でも大切な宝物のような経験になっています。

3枚の写真があるのですが、私は写真を撮ることが好きです。カメラを始めたきっかけは、 何か続けられるものが欲しかったからです。私は続けるということに対し、とてもこだわりがあります。それはきっと、中学に行かなかったこと、高校を退学したことを“続かなかった”と捉えており、その気持ちをぼやかすために写真を撮るのかもしれません。

写真は、ある写真を誰かが見て想うことと自分が想っていることが、同じだったり、違っていたり、それ以外だったりするところがとても好きです。その想いは、伝えたい時はそうできますし、秘めておきたいときはそのままにしておける。そのような部分にとても心地よさを感じます。

まちのほけんしつの作業に初めて参加したのは昨年の9月頃です。釘を抜いたり、壁紙を剥がす作業をしました。なかなか体験することができる作業ではないため、とても貴重な経験でした。そこから月日が流れ、頻繁に作業に行くようになったのは今年の1月頃からです。 作業には美術部と共通点があり、顔を見ずに話すことが多く、無理に話す必要もないです。 また、作業以外のことをして過ごすこともできるので、自由な空間が広がっています。 養生をする、シーラー、ペンキ、ニスを塗る、メジャーを使って長さを測る、インパクトやグラインダーを使う、糊で床を貼るなど全てのことが初めてだったので、教えていただきました。分からないことがあったら誰かに聞きます。重たいものはみんなで持ち上げたりします。自然と行われるコミュニケーションや協力は、美術部が少しステップアップし、課外活動をしているように感じます。

私は昨年大学に進学したのですが、学門をくぐるときや、教室に入る時に必ず緊張してしまいます。それは、まちのほけんしつの扉を開けて入る時も同じです。 様々な場所で、関わる人たち1人1人に対して「自分は迷惑な存在なのではないか」と考えます。それは、まちのほけんしつでも変わりません。 緊張やその考え方はすぐにはとけないと思います。しかし、大学、アルバイト先など多くの時間を過ごす場所とまちのほけんしつで異なるところがあり、私にとって信頼しても大丈夫な人たちがたくさんいます。その信頼の多くは、作業や自由な空間から生まれたのではないかと考えます。自分が行った作業も仲間が行った作業も、必ずみんなの喜びに繋がります。自分の過ごし方を自分で選び、それを認めてくれる人たちがいます。それらは“自分”の存在を認めることにも繋がります。色んな経験をしてきて、多様な考え方を持っている人たちみんなでつくる居場所はとてもあたたかいです。ですから、私はそこに行きたくなります。

不登校になってから、今でも抱えているものはあり、死にたくなる時も消えてしまいたくなる時もあります。しかし、不登校になってから、たくさん考え自分と向き合ったことや、様々な人に出会いお話したこと、一緒に何かをしたことが、今の自分をつくっていると考えると、少しだけ自信をもって、私自身に「大丈夫だよ。」と言うことができるのです。そして振り返ると、ともだちになりたくなるような、手を差し伸べたくなるような自分がいる、わるくないできごとがたくさんあるため、なにも無駄なことはないと思えるのです。これまでも、この先もきっと。

(執筆・写真:M)

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