アリスの広場 保護者Nママの執筆
ただ そこにあるもの
アリスの広場との出会いは3年前。娘のNが小学校入学直前の3月ごろだったかと思う。
Nは保育園の年長さんになった頃から、なんだかいつも体調が優れず、塞ぎ込んで笑わなくなってしまった。
理由はいろいろあると思うが、本人から直接聞けたのは『自分以外のお友達を先生が大きな声で怒るのがイヤ』ということ。自分が怒られているような気持ちになってしまって、耳を塞いだり泣いたりしていたようだった。
小学校入学前に引越す予定もあったので、卒園を待たずに保育園は退園した。Nの状態を無視して登園させることに違和感しかなかった。
「Nは学校行かない」小学校入学まで数ヶ月に迫ったある日、Nが普通にそう言った。
「学校行きたくない」でもなく「学校行かなくていい?」でもなく。
Nにとって、学校に行かないという選択があまりにも自然で、わたしは反対したり説得したりする気持ちは1ミリも起こらなかった。
ただ、母親としては どうしたらいいのか途方に暮れてしまった。
まだ入学もしておらず、学校というものを何も体験していないわけで、いや、1日くらい行ってみてもいいんじゃない?と思ってみたりもした。それに、身近なところに不登校の子どものお母さんはいなかったし、いたとしても途中からで、入学前から不登校というケースは聞いたことがなかった。
子どもが不登校になったらおそらく多くのお母さんが考えるであろう、学校に代わる何かを、3年前のわたしも探していた。
でも、フリースクールやオルタナティブスクールは見学に行くことも叶わなかった。子どもが複数人いる、先生と呼ばれる大人がいる。それだけで、Nは拒絶にも近い反応を示していた。
そんな中、唯一足を運ぶことができたのがアリスの広場だった。当時、アリスの広場には小学生も中学生も来ていなかったし、Nから見たら大人のお兄さんお姉さんたちばかりだった。先生のような人もいないし、フリースクールのようにみんなで何か(勉強や体験など)をやろうという雰囲気もなく、ただ何もせずにその場に居られる、ちょっと不思議な場所だった。
絵を描くのが好きなNに、佐藤さんがアリス美術部への参加を勧めてくれた。
初めてゆったりアーツに参加した日、休館日のアーツ前橋のロビーでタッキー(滝沢さん)がNとお絵描きして遊んでくれて、Nが本当に楽しそうに笑っていたのがキラキラして印象的だった。
コロナ以前のゆったりアーツでは、美術鑑賞したあと、ほとんどのアリスの若者たちは感想などをアンケートに書いてすぐに帰っていくのだけど、Nは毎回 タッキーと遊びたい!と、しばらくの間その場に残っていた。タッキーがインタビュー中であろうと打ち合わせ中であろうとNには関係ない。
そんな時、その場にいるわたしは何とも言えない気持ちになっていた。何故ならわたしは、アリスの広場の若者でもないし、ボランティアさんでもないし、スタッフでもない。
ただの『アリスの若者のお母さん』という、本来なら部外者になってしまう立ち位置に、ここに居ていいのかな?という微かな居心地の悪さと、貴重な話を聞かせてもらっているわくわく感と、Nが楽しそうでよかったな~という思いと、ただその場に居られる不思議な感覚を同時にごちゃごちゃと感じていた。
あとになって、その感覚はそれでよかったのだとわたしの中にちゃんと落ちていった。Nのママであることで立ち位置を強制されることも排除されることもなかった。ただ、Nのママというだけ。だから『Nママ』と呼ばれることも、ここでは妙にしっくりくる。
いつか誰かが決めたルールや、居心地の悪い考えに捉われることは、多くの人にとって自然すぎて無自覚なのだろう。子どもも大人も潜在的に学校に行かなければならないと思い込んでいたり、不登校だと言うと、少しでも学校に行けるといいね、と言われたりする。
そんな捉われた世界に慣れ切ってしまっているわたしたちにとって、アリスの広場とその延長線上にあるアリス美術部は、狭い時空の隙間を辿っていった先にあるような、少し非現実的な場所なのかもしれない。
誰もが何もせずただそこに居られる不思議で貴重な場所。ジャッジも何もない。
ただ、そこにあるもの。
(執筆:Nママ・写真:滝沢達史)