夏の企画展から特別養護老人施設のワークショップ実施の中で(文=木村祐子)
夏の企画展から特別養護老人施設のワークショップ実施の中で
文=木村祐子(本プロジェクトコーディネータ)
H29年2月28日、久しぶりの「チームえいめい」の登場だった。
前年9月に「表現の森」の企画展は一旦終了し、ひと段落ながらも寂しさを感じていたが、今回は特別養護老人施設(通称:特養)のみのワークショップであった。これは11月に行われたデイサービスえいめいの文化祭で、デイと特養のそれぞれでワークショップを実施し、メンバーは各自、特養での可能性を見出した結果、継続して行ったものだった。
デイサービスは通所の施設であり、特養は、認知機能や身体機能の低下がある方の入居施設で、基本的には要介護3〜5の重症度が高い方の介護施設である。
夏の企画のことを思いだすことがある。
それは、デイの利用者で耳の非常に遠い女性のことである。補聴器の使用や大きな声でも聞こえることは少なく、筆談で会話を試みるが、意図が伝わらないことも多々あった。私にとって、彼女と2人での会話は難しかった。
しかし、聞こえないと言う彼女がリズムをとって表現することがあった。音の振動によるものか、わずかに音を聞き取っていたのか不明であるが、石坂氏が奏でるリズムを捉えて、同じリズムを笑いながら表現をした場面があった。また、別の場面では、一つの楽器を石坂氏と一緒に奏で、即興で演奏をすることもあった。石坂氏によると「彼女には独自の時間が流れている。」と。
石坂氏と彼女のやり取りは、石坂氏が彼女に寄り添ったようにも見え、彼女が石坂氏に寄り添ったようにも見え
ていた。おそらく、双方が流動的に「表現者」にもなり「受け手」にもなっていたと感じている。
今後の特養の活動を考えると、アーティストと高齢者のやり取りについては、不安がほぼない。前述したように、それぞれが勝手に表現者にもなってくれるし、受け手にもなってくれる。だから、新しいことを創造していくことさえ可能にするだろうと考えている。むしろ、施設職員とどう関わっていけるかが私の心配であり、鍵にもなると思う。
ところで、えいめいの施設は、1階に玄関、事務所、デイサービスや他の部署があり、2階が特養である。そして、チームえいめいが、来館する日は1階に控え室を設けている。普段見かけないアーティストの姿やカメラマン、アーツ前橋学芸員の方の姿は目立つため、やって来た感がある。その日の朝礼で、アーツ前橋の方が来ますと、館内に案内しても、その感覚になるのは実際に来てワークショップを実施し、終えた後である。
前述したようにデイは1階にあり、控え室の場所も1階を使用しているため、デイの職員や他の職員もこの人達の存在に触れる。デイの職員に特養で実施することになった旨を伝えると、「まぁ、仕方ないんじゃない。いいことなんじゃない。」と話す。
多くの人がいろんな考えを持つ。それは、世間一般的にも、施設に関わる人も含めて表に出てわかることは多くなく、できることとできないことがある。デイサービスにせよ、特養にせよ、ただ、勢い任せではなく、今まで関わってくれた人や思いなど、大切にすべきことを見逃さずにやっていきたいと感じる。
認知症に関する話題で、交通事故や介護の問題など取り上げられることが多い。世界でも稀なほど日本の高齢化は急速であり、社会が対応できていないため必要に迫られている。実際に認知症の相談は増えている。ただ、多くの課題はあるが、「認知症=悪いもの」「病気=悪いもの」という問題意識としてでなく、当たり前のことが起こっていると受け止める必要はあると思う。
話は飛躍するが、タイ王国では高齢の方の認知症状は当たり前で、「認知症」という言葉がないと聞いたことがある。そして、日本でも認知症と診断されても、幸せそうに満面の笑みで過ごされている方もたくさんいらっしゃる。
私のできることは、チームえいめいの力を借りつつ、特養に入居される方の力を世の中に発信し、社会が現状を受け止め、共に歩んでいけるようにコーディネートしていくことだと考えている。
(執筆・投稿=木村祐子)