石坂亥士ブログより~11/22えいめい文化祭での活動
「表現の森」展での活動の継続として、「社会福祉法人 清水の会 えいめい」の特別養護老人ホームにて石坂亥士さんと山賀ざくろさんによるワークショップを行いました。この活動は、えいめいの施設内で開催された文化祭(11/21~11/26)の枠で、施設内でこれまでの活動の映像展示を行うと同時に一日限りのワークショップを行うというものでした。
本ワークショップをふりかえって石坂亥士さんのブログにレポートが掲載されましたので、記事より一部転載いたします。
今年、アーツ前橋で関わらせていただいた、お年寄りの施設でのワークショップが、今になって身体と心に浸透し、腑に落ちてきた感じがしている。先日は、その施設での文化祭があり、ざくろさんとアーツ前橋のみなさんとで、少しだけおじゃましてきた。デイサービスと、特別養護老人ホームの方々へのワークショップだった。
特別養護のご老人たちへのワークショップは、今後、自分にとって非常に意味のあるものになっていってしまう予感がしてしまったのである。自分の中で、未来を担う子どもたちへのワークショップは、ものすごく腑に落ちて行っている。しかし、それとは逆に、ご老人たちへのワークショップというものは、必要なのか?という思いがあったのは事実だ。その疑問が、全てではないが、特別養護のご老人たちへのワークショップをした時に、何故か腑に落ちる感覚が生まれたのだ。
音の在り方は、やはり、この世とあの世を繋ぐ媒介的な役割もあるし、その音を操る者は、死へと向かう方々のある意味ナビゲーターでもあるのかもしれないという思いに至ったのだ。それは、ワークショップ後に、施設長さんのお話を聞く機会があり、特別養護という場所は、看取りの場でもあるんです。という話をうかがったからだ。介護が必要なお年寄りたちが、車椅子で机に向かって、ただ座っている様子は、あまりにも衝撃的で、言葉にできないほどに、この場所でワークショップをやる意味があるのか?と思ってしまったほどだった。しかし、いざ始まってみると、動けないながらにも、その目には生き生きとして、何かその場とエネルギーを共有しているのだ。小さい楽器を持てる方は、それを持って、少しだけ「ジャラッ」と鳴らしたりして楽しんでいたのだ。
これは、答えの出る問題ではないが、誰もがいずれ訪れる死というものを、どの様な心持ちで迎えることができるのか?ということになってくるのかもしれない。答えの出ないということにおいて、こういった場所にアートが介在する意味は、あるのかもしれない。葬儀での送る音は、勿論あるわけだが、その前の段階の音風景というものは、どういうものなんだろう。。。。ひとりでは、到底無理だが、表現の森でご一緒したチームでなら、この生と死の狭間の音風景というものを追求できるかもしれない。時節柄、11月26日が祖父の17回忌という事もあり、そんな事が、フッと頭をよぎっては消えていく、ここ数日であります。。。
(テキスト:石坂亥士、投稿:アーツ前橋 今井朋)